手話研究の星6 ストーキー(William C. Stokoe) ⑤


手話で話す女性のイラスト

ストーキーからは手話学以外に言語学者として、言語起源論についての彼の持論を聞きました。当時、言語起源論は言語学ではタブーとされている話題でした。諸説が入り乱れ、証拠がなかなかない推論ばかりなので、科学の一翼である言語学としては当面封印しようというのが学会の結論でした。ところが長い封印時代を経て、現在、また新たな視点と証拠をもって言語起源論が提唱されるようになりました。そしてストーキーが主張していた言語起源論が参照されています。

彼の言語起源論は一言でいえば、人類学的視点に立つものです。私はたまたま彼に会う前に彼の友人であるG.Hewsが来日した折の講演を聞いたことがありました。彼の説は、当時、生成文法に支配されていた日本の言語学者には不評でした。私はまだ駆け出しだったおかげで、彼の講演に興味を持ちました。講演後の仲間内での議論では、先輩たちが彼はクレージーだ、論評に値しないと酷評しているのを見て違和感がありました。その話をストーキーにぶつけてみました。彼はアメリカでも同じだ、ということでした。

要するにヒューズやストーキーの言語起源論は異端だったわけです。実際、ストーキーについて論評する人々は手話表記法については評価するものの、言語起源論は無視していました。その傾向は今日でも変わらないと思います。彼らの言語起源論を簡単にすると、「人間の進化過程において、言語を獲得したのは音声言語が最初ではなく、身振り言語であり、音声言語はそれが発達したもので、音声言語獲得の後、書記言語を獲得した」というものです。その証拠を人間の発音器官の発達、大脳の発達、手の発達、二足歩行などの人類学的証拠から説明しようとしたのです。

「言語には化石がない」ので、まず確実な証拠は文献です。音声も残っていません。そこで文献から古代の音声形を推測するわけです。その前提として、現代の音声を比較し、その表記である文字と綴りから、相互比較によって古代音声形を推定していきます。それが比較言語学です。比較言語学の弱点は文献がないとそこで終わりです。そして新たな文献の発見があると修正するしかありません。それでは言語の起源に辿り着くことは不可能ですから、言語起源論は封印するしかありませんでした。人間の音声器官についても、具体的な器官は残っておらず、骨格が化石化しているだけなので、文献学と同様に現代人の骨格の比較、幼児の骨格と音声、そして類人猿などの骨格と音声を比較することで、だんだん推定できるようになりました。また言語と脳の関係はある程度の相関性が認められるので、脳の容積の進化も参考になります。脳の容積の肥大化は二足歩行との関係が指摘されるようになり、二足歩行は両手の歩行からの解放を意味し、動物にも同様の道具の使用が認められます。また身振りは類人猿にも見られることが観察されました。こうした一連の発達を総合的に勘案すると、人間のコミュニケーションは身振りから始まったという言語起源説です。身振りから手話に発達した、ということは容易に推測できますし、幼児の言語習得過程からも観察されます。

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