「イギリス人が築いたアメリカ」 第3回 自由を求めた人々 ― メイフラワー号とプリマス植民地

1607年に建設されたジェームズタウンは、利益を目的として設立されたイギリス最初の恒久的植民地でした。それから13年後の1620年、今度はまったく異なる理由で北米へ渡った人々がいます。彼らの目的は金でも土地でもなく、「信仰の自由」でした。後に「ピルグリム・ファーザーズ(Pilgrim Fathers)」と呼ばれる人々です。彼らが築いたプリマス植民地は、アメリカが重んじる自由や自治の精神の原点の一つとなりました。
16世紀のイングランドでは、ヘンリー8世によってローマ・カトリック教会から独立したイングランド国教会が成立しました。しかし、その後も礼拝の形式や教会制度にはカトリックの影響が多く残っていました。これに不満を抱いた人々が「ピューリタン(清教徒)」です。さらに、その中でも「国教会から完全に分離すべきだ」と考えた人々は「セパラティスト(分離派)」と呼ばれました。
分離派は信仰を理由に迫害を受け、1608年には宗教的に比較的寛容だったオランダのライデンへ移住します。しかし、オランダでの生活は決して楽ではありませんでした。仕事は厳しく、子どもたちは次第にオランダ語や文化に親しみ、イングランド人としての伝統が失われることを大人たちは心配するようになります。
そこで彼らは、新天地に自分たちだけの共同体を築くことを決意しました。イギリスの商人たちから資金援助を受け、北米への移住計画が進められます。
1620年9月6日、小型帆船「メイフラワー号」はイングランド南西部のプリマス港を出航しました。乗船したのは102人の移住者と約30人の乗組員です。家族連れも多く、幼い子どもや妊婦もいました。大西洋横断は約66日間に及び、秋から冬へ向かう荒れた海は過酷そのものでした。
本来の目的地は現在のニューヨーク州付近、バージニア会社の管理地域でした。しかし嵐に流され、船は現在のマサチューセッツ州ケープコッドへ到着します。そこは会社の許可区域外であり、誰の統治下にもない場所でした。
このとき、一部の乗客から「ここでは誰の命令にも従う必要はない」という声が上がります。共同体が分裂する危険を感じた指導者たちは、上陸前に一つの文書を作成しました。それが「メイフラワー誓約(Mayflower Compact)」です。
この誓約では、「神と国王への忠誠を誓い、自分たちで法律を定め、多数決によって共同体を運営する」と約束されました。署名したのは成人男性41人でした。現代の民主主義とは異なりますが、「住民自らが合意によって社会を運営する」という考え方は、後のアメリカ民主主義の重要な基礎となります。
1620年12月、一行はプリマスに上陸し、小さな植民地の建設を始めます。しかし最初の冬は想像を絶する厳しさでした。寒さと栄養不足、病気によって半数近くが命を落とします。それでも生き残った人々は仲間を励まし合い、春を迎えました。
彼らを救ったのは、先住民ワンパノアグ族との出会いでした。特にスクアントという人物は英語を話すことができ、トウモロコシの栽培方法や魚を肥料にする農法、狩猟や漁の技術を教えました。また、ワンパノアグ族の首長マサソイトとも平和条約が結ばれ、植民地は安定へ向かいます。
1621年秋、初めての豊かな収穫を迎えた入植者たちは、神への感謝を捧げる祝宴を開きました。そこへマサソイトと約90人のワンパノアグ族も招かれ、食事を共にしたと伝えられています。これが現在の「感謝祭(Thanksgiving)」の起源とされています。
もっとも、この出来事は単純な美談ではありません。その後、イギリスからの移民が急増すると土地をめぐる対立が深まり、1675年には「フィリップ王戦争」が勃発します。ワンパノアグ族をはじめとする先住民族は壊滅的な被害を受け、多くの共同体が消滅しました。現在では感謝祭を祝う一方で、この歴史にも目を向けようという動きが広がっています。
プリマス植民地そのものは1691年にマサチューセッツ湾植民地へ統合されました。しかし、その精神はアメリカの歴史に深く根付きました。宗教の自由、自ら法律を定める自治、多数決による政治、共同体を支え合う意識は、後のアメリカ社会の価値観へと受け継がれていきます。
現在のプリマスは、アメリカ建国史を学ぶ重要な観光地となっています。港には実物大で復元された「メイフラワーII号」が係留され、当時の船旅を体感できます。また、「プリモス・パタクセット博物館」では17世紀のイギリス人入植地とワンパノアグ族の村が再現され、双方の暮らしを比較しながら学ぶことができます。さらに、海岸には「プリマス・ロック」と呼ばれる岩が保存され、移住者たちが最初に上陸した場所として親しまれています(実際の上陸地点については諸説あります)。
ジェームズタウンが経済的成功によって植民地を発展させたのに対し、プリマス植民地は信仰と共同体の結束によって困難を乗り越えました。この二つの植民地は異なる理念から生まれましたが、どちらも後のアメリカという国家の形成に欠かせない礎となりました。
次回予告
第4回「十三植民地の誕生」では、大西洋岸に築かれた十三植民地の特徴を紹介します。ニューイングランド、中部植民地、南部植民地は、それぞれどのような社会を築き、どのような違いがあったのでしょうか。そして、その多様性が後のアメリカ合衆国の原型となっていきます。
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