日本史と世界史で読み解く 北米建国物語 第7回(3) 田沼時代、日本は商業、北米は自治へ

十三夜の月のイラスト

― 田沼意次とベンジャミン・フランクリンの時代 ―

・日本ならどうだったのか

ここで日本史との比較が面白くなります。

江戸時代、幕府が新しい税を課すことに対して農民が反発することはありました。百姓一揆や打ちこわしも起こっています。

しかし、「自分たちの代表が議会にいないのだから、税を決める権利はない」という考え方とは違います。なぜなら、日本には議会によって幕府の課税を承認するという政治制度が存在しなかったからです。幕府は将軍を中心とする政治権力を持っていました。

一方、北米植民地では、すでに議会による自治を経験していたため、

「税を決めるなら、こちらの代表者も参加させるべきだ」という主張が生まれやすかったのです。ここが両社会の決定的な違いの一つです。

・「自由」は誰のものだったのか

しかし、ここで歴史の大きな矛盾が現れます。

「自由」を主張していた植民地住民の中には、奴隷を所有している人々もいました。ジョージ・ワシントンもトマス・ジェファソンも奴隷所有者でした。つまり、「代表なくして課税なし」と主張しながら、「すべての人に政治的権利を認める」ところまでは到達していなかったのです。この矛盾は、アメリカ独立の歴史を理解する上で非常に重要です。

アメリカの自由は、最初からすべての人の自由ではありませんでした。しかし、その後のアメリカ社会では、「すべての人は平等である」という理念が、奴隷制度そのものを批判する根拠にもなっていきます。建国時の理念と現実の矛盾が、後の歴史を動かしていくのです。

・1770年、ボストンで銃声が響く

緊張が高まる中、1770年3月5日、ボストンで事件が起きます。イギリス兵と市民が衝突し、兵士が発砲。5人の市民が死亡しました。「ボストン虐殺事件」です。この事件は植民地側の反英感情を強めました。しかし、ここで興味深い人物が登場します。ジョン・アダムズです。後にアメリカ第2代大統領となるアダムズは、イギリス兵の弁護を引き受けました。

革命前夜の植民地社会では、すでに「イギリスに反対する」という感情と、「法に基づいて裁判を行う」という考え方が同時に存在していたのです。

・1773年、紅茶が海へ投げ捨てられる

そして1773年。イギリス政府は茶法を制定します。東インド会社が植民地へ茶を直接販売できるようにする法律でした。茶そのものは安くなりました。しかし、植民地側が問題にしたのは価格ではありません。

「イギリス議会が植民地に課税する権利を認めることになる」という点でした。

1773年12月16日、ボストン港で抗議行動が起こります。植民地の人々が東インド会社の船に乗り込み、342箱の茶を海へ投げ捨てました。これが、ボストン茶会事件です。

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