日本史と世界史で読み解く 北米建国物語 第9回(3) ワシントンと松平定信

十三夜の月のイラスト

― 初代大統領と寛政の改革者、二つの「国家像」 ―

・江戸は「将軍の都市」だった

ここで江戸と比較すると非常に面白くなります。江戸は徳川将軍の居城を中心に発展した都市でした。江戸城は巨大な政治・軍事施設です。その周囲には大名屋敷が並び、さらに町人地が広がっていました。
つまり、江戸=幕府の政治権力を中心に成長した都市でした。

一方、ワシントンD.C.は、「新しい国家の政治機構を置くために計画された都市」です。

どちらも政治都市ですが、その成立過程が違います。江戸は歴史の積み重ねによって巨大化しました。ワシントンD.C.は、新しい国家の理念を象徴する都市として計画されたのです。

・江戸城とホワイトハウス

さらに比較してみましょう。江戸城には将軍が住んでいました。そこでは幕府の政治が行われます。しかし、江戸城は単なる「首相官邸」ではありません。将軍の居住空間、政治空間、軍事施設が一体となった巨大な城郭でした。

一方、ワシントンD.C.のホワイトハウスは大統領の公邸兼執務の場です。議会は別の場所にあります。最高裁判所も別にあります。つまりアメリカでは、行政、立法、司法を制度上分離する考え方が採用されました。これが三権分立です。

日本の江戸幕府では、こうした近代的な三権分立は存在しませんでした。

・「国家を分ける」という発想

合衆国憲法では、政府の権力を分散させることが重要視されました。大統領がすべてを決めるわけではありません。議会があります。裁判所があります。大統領が法律を作るわけでもありません。議会が法律を制定し、行政機関がそれを執行し、裁判所が法律を解釈します。これは、「権力を一か所に集中させない」ための仕組みでした。独立革命の経験から、アメリカの指導者たちは、強すぎる政府も危険だと考えていたのです。

・江戸幕府は「権力を分散させながら統制した」

では、江戸幕府は権力を一か所に集中させたのでしょうか。実際には、これも単純ではありません。

幕府だけですべてを直接統治していたわけではありません。全国には各藩が存在し、大名が領地を統治していました。幕府と藩が並立する「幕藩体制」です。つまり日本にも、中央と地方の役割分担がありました。ただし、それはアメリカの連邦制とは大きく異なります。藩は現代の州とは違い、主権国家ではありません。将軍を頂点とする政治秩序の中に置かれていました。

ヨーロッパの王国でも似たような体制の国がありました。国王といっても、すべてを支配しているわけではなく、大公や公爵、伯爵といった貴族が領地を持ち、自治的な体制をもっている王国がたくさんありました。とくに徴税権は分権化されていました。完全な独裁国家が出てくるのは、ずっと後の歴史です。

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