日本史と世界史で読み解く 日米物語 第14回(7) 第一次世界大戦と日米関係

十三夜の月のイラスト

― 日本はなぜ「列強」になり、アメリカはなぜ世界の中心へ向かったのか ―

まとめ――第一次世界大戦は「日米の次の時代」を作った

第一次世界大戦は、ヨーロッパで始まりました。しかし、その影響は世界中に及びました。

日本は戦勝国となり、国際連盟の常任理事国となりました。アメリカは世界最大級の経済・金融大国となり、国際政治における影響力を大きく高めました。

そして太平洋では、日本とアメリカという二つの強国が向き合うことになりました。両国には、経済交流。人的交流。文化交流。という深い結びつきがありました。

一方で、移民問題。人種差別。中国市場。海軍力。太平洋の勢力争い。という対立要因も存在しました。

つまり第一次世界大戦後の日米関係は、まだ「敵」と「味方」に分けられる単純なものではありません。むしろ、友人であり、商売相手であり、競争相手でもある。そんな複雑な関係でした。

そして1920年代、この関係を整理しようとする試みが行われます。その舞台となったのが、ワシントンでした。

第一次世界大戦に至る欧米の状況は、現在の世界の状況に似ているという意見も多くあります。「歴史は繰り返す」という諺があるので、歴史的視点に立つと、確かに類似した状況が見られます。しかし、この間の技術の進化は目覚ましいものがあり、とくに武器や戦争の在り方は当時と現在では格段の相違があります。そのため当時と同じような展開になるということはまずないと思われます。

次回予告

第15回「ワシントン会議と太平洋の秩序」― 日米英はなぜ海軍軍縮を話し合ったのか ―

1921~22年、アメリカの首都ワシントンに世界の主要国が集まりました。議題の中心は海軍軍縮でした。なぜアメリカは巨大な海軍を持ちながら、軍艦を減らそうとしたのでしょうか。なぜ日本も軍縮を受け入れたのでしょうか。そして、「戦艦の数を決めること」が、なぜ太平洋の平和と結びついたのでしょうか。

さらに、ワシントン会議で決められた「5:5:3」という比率が、日本国内でなぜ大きな論争を引き起こしたのか。1920年代の日米関係を理解する鍵となる、「ワシントン体制」の成立を詳しく見ていきます。この時代、まだ日本とアメリカは「敵」ではありませんでした。むしろ両国は、なんとか太平洋の平和を維持しようとしていたのです。しかし、その協力は長く続きませんでした。なぜなら、両国の間には、中国と太平洋をめぐる根本的な利害の違いが、すでに存在していたからです。

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