やまとことば⑤ こと3



コトの用法として、名称の言い換えを表す用法があります。コトは、「AことB」の形で、言い換えによる詳しい説明や実体を紹介することができます。「千年に一人の天才こと〇〇さんにお話をしていただきます」のように表現できます。しかし近年は、このコトを省略し、間(ま)をおくことで代替している表現が増えてきました。理由は不明ですが、文語的なニュアンスや古い表現のような感じがするからでしょうか。文法的な説明としては「AことB」のAには通称やニックネームが・Bには公的な呼び方が来る、と説明されます。

またコトを 終助詞のように文末で用いる用法があります。コトは、終助詞のように文末に用いられることで、話し手による忠告・命令・感心・あきれなどを表すことができます。たとえば「今日中にこの仕事を終わらせること。」であれば、話し手による命令を表します。この用法は家訓や規則書などに多いせいか、これも近年はだんだん少なくなってきています。こういう間接的な命令ではなく、直接的な「終わらせなさい」という表現に変わってきています。「素敵なお洋服だこと。」であれば、話し手による感心を表しています。この用法は女言葉として、男性が使うことはまずありません。女性、それも上品なイメージ、上流のイメージがあります。

この2つのコトの用法は事という漢字には変換できないので、ヤマトコトバの中でも古い用法であることが察せられます。文法的には分類されていませんが、コトは形式名詞としての存在の他に、同音異義語とされてきた言(こと)というのがあります。民俗学者柳田国男は「言=事」と考えており、言葉にしたことが現実の事象として出現する、という「ことだま」思想を重要視しています。呪詛などは昔の迷信、として片付けてしまう人が多いのですが、実際には今でもお祈りのことばがあったり、忌み言葉があったり、名前に縁起を求めたり、と習俗として残っています。語呂合わせという言語技術と相まって、商品名、社名などビジネス場面でも多用されています。ことだま思想という大層な言い方でなくとも、日本文化の底流には言語と事象との関連を意識する行為があります。言語と事象の関連を重視するのは、日本文化だけでなく、宗教界には普遍的に存在しており、どの宗教にも祈りの言葉や願いの言葉があり、言葉の力を信じるのは人類に普遍な現象と考える方が妥当でしょう。ただ言葉は物理的な観察や測定がむずかしく、自然科学的な検証と理解にはなかなか結び付きません。しかし人間関係において、コミュニケーションを通じて相手の行動に影響を与えることは日常的に行われます。ビジネス契約、交渉、相談、報告など、すべて言語なしには困難です。いくら絵や動画が訴求的だとしても、題名をつけたり、解説やテキストなしでは効果が薄いといえます。言葉の力を否定する人はいないと思いますが、事物としてのコトとコトバのコトを結びつける、ことだま思想には賛否両論があるようですが、それは哲学的議論ではなく、政治的背景に関する議論が多いのも特徴的です。

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