冬の苺


コラム挿絵:いちごのイラスト

近年、冬に苺を食べるのは当たり前になってきて、むしろ本来の旬である春の方が量が少なくなっています。苺だけでなく、夏野菜であるトマト、キュウリ、ナスなども普通にみかけます。これは消費者の需要というより、明らかに生産者と流通業者の都合でしょう。確かに「季節はずれ」に売れば「高く売れる」でしょうから、金儲けとしては当たり前といえるかもしれません。儲かるとなると競争になり、苺農家は次々と品種改良を行い、その結果、現在は各地で「名品」としてのブランド品を作り、テレビの宣伝で競争しています。競争して品種改良をすること自体は農業技術であり、よいことですが、その結果、自然の変化に弱かったりして、温度管理や受粉に特別な管理が必要で、その分、経費がかかります。温度管理には重油などの石油エネルギーを消費するので、原油が上がれば値段も上がります。そして何より、SDGsとして環境政策を推進している我が国の方針に逆らっているように思われます。昔は、家庭の庭でも苺を栽培し、秋になるとランナーを伸ばして根付いた株を分けたりして、増やす楽しみがありました。今でも、そういう楽しみをしている人はいますが、そうして自家栽培した苺は形もいびつで、小さいのですが、何というか、苺独特の風味が強く、甘酸っぱい味を好む人もたくさんいます。売っている苺は大きくて甘いのですが、風味が薄いのです。そして家庭で作る苺はわずかの肥料だけで、あとは太陽の恵みです。それこそSDGsに向いています。家庭菜園も同様で、無農薬で安全であるだけでなく、取り立ての野菜には自然の甘みとうま味があります。むろん、虫もつくので、丁寧にとってやらねばなりませんし、鳥にとられることもあります。「農家にはできない」のももっともです。しかし、最近は少量の無農薬野菜を作り、それを使ったレストランなども増えてきて大人気です。漁業でも、取り立ての地魚を提供するレストランは人気です。魚は家庭養殖はできませんから、現地に行くしかありません。しかしその漁業も最近は養殖が盛んになってきて、海ではなく、山中に養殖場がある場合も増えてきました。山中の養魚といえば、昔は川魚だけでしたが、今では、海水を持ち込んで、海魚の養殖もできるようになりました。まだまだ海の一部を囲っての養殖が多いようですが、いずれは山中養殖が当たり前になるかもしれません。しかし、この山中養殖もエネルギーをかなり使います。農業にしろ、漁業にしろ、自然相手の産業などうしても自然に左右されます。それで価格も不安定であり、豊漁貧乏になることもあります。利益が多く安定的な供給には養殖や季節外れ栽培が必然である、という意見もありますが、この「必然論」をいいだせば、あらゆる産業にもいえ、脱炭素政策など成り立ちません。いわゆる「環境派」といわれる人々は火力発電などばかりを強調しますが、こういう近代農業を批判している姿を見たことがありません。生態系を問題にして、寿司を目の敵にする欧米の運動家はいますが、彼らも農業批判はしません。こうした矛盾を彼らはどう考えているのでしょうか。

2025年1月
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  

コメントを残す