如月の満月


コラム挿絵:西行の肖像

本日は旧暦だと如月の十五日、満月です。如月の望月といえば、西行の「願わくは花の下にて春死なんその如月の望月の頃」を思い起こす人も多いと思われます。
今年はこの時期に、早い地方なら桜も咲きます。西行がなぜこの日に拘ったかというと、釈迦の入滅の日は2月15日だからです。仏教の僧である西行法師は、出来ることなら同じ日の、桜の花の下で死にたいと願い、実際亡くなったのは2月16日というエピソードが残っています。

西行は寺にいて説教をする高層たちと違い、旅に生き漂泊の歌人として知られていて、その旅の中での感興・自然への愛着が、さまざまな歌に詠まれていて、古今、憧れる人も多いのです。西行は旅先で、自然と人生を詠い、無常の世をいかに生きるかを問いかけている、とされています。この歌の成立はよくわかってはいませんが、治承・寿永の乱 (源平合戦) の最中か直後ではないかと言われています。

西行は、秀郷流武家藤原氏の出自で、俗名・佐藤義清 (さとうのりきよ)といい、武士として徳大寺家に仕えていました。しかし23歳で出家して円位を名乗り、後に西行と称しました。西行は享年73歳、この歌はその約10年前に詠まれたものだと言われています。この歌を詠んだのが63歳だとすると、当時としては長寿といっても良い60歳を超えるほど生きた西行は「もう思い残すことはない」という感慨をこめて、この歌を詠んだのかもしれません。

この「山家集」という歌集に所収されています「花」というのは当然、桜の花のことで、日本では古来、桜が代表的な花とされています。現代では桜といえばソメイヨシノですが、これは江戸時代以降のことで、西行の時代は山桜です。

また、この歌は技法的にも優れています。句切れというのは、一首の中での大きな意味上の切れ目のことをいいますが、読むときもここで間をとると良いとされています。この歌は「春死なん」のところで一旦文章の意味が切れます。三句目で切れていますので、「三句切れ」の歌となります。

西行は同時代の歌人、藤原俊成や藤原定家が高い評価をしていて、当時の歌壇の中心人物であったことは間違いありません。西行が後世に与えた影響は極めて大きく、旅の中にある歌人の代表的存在として名を残しました。のちの宗祇、松尾芭蕉の作風に大きな影響を与えたとされています。それが歌聖といわれる由縁です。

この歌の他にも有名な歌があり、「惜しむとて 惜しまれぬべき此の世かな 身を捨ててこそ 身をも助けめ」「身を捨つる人はまことに捨つるかは捨てぬ人こそ捨つるなりけれ」があります。また「心なき身にもあはれはしられけり鴫立つ澤の秋の夕ぐれ」は新古今和歌集の「三夕(さんせき)」として、学ぶべき古典の1つになっています。
三夕とはいずれも最後が「秋の夕暮れ」で終わる歌で、寂蓮法師、藤原定家、西行法師の歌のことです。3首の和歌の共通点は体言止めと三句切れで、すべて「秋の夕暮れ」という体言(名詞)で歌がしめくくられており、和歌に余情を添える、とされています。
詳しくはぜひ三夕を検索して、味わってみてください。春とは別の、日本の心がわかってくるかもしれません。

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