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ケルトの祝祭、ベルテイン(Beltane)新着!!
ヨーロッパの5月の行事をさかのぼると、その源流の一つとして必ず言及されるのがBeltaneです。これは古代ケルト人が4月30日から5月1日にかけて行っていた祭りで、「夏の始まり」を告げる重要な節目でした。ベルテインの最大の特徴は「火」にあります。人々は丘の上などで大きな焚き火を起こし、その煙や炎によって家畜や人間を清めました。家畜を火の間に通すことで病気を防ぎ、繁殖を促すと信じられていたのです。こ・・・
スカボロ・フェアとメイフェア―中世ヨーロッパの「集い」の文化新着!!
「フェア」という言葉から、多くの人が思い浮かべるのは楽しい祭りかもしれません。しかし中世ヨーロッパにおいてフェアは、単なる娯楽ではなく社会の基盤を支える重要な制度でした。その代表例がScarborough Fairです。 イングランド北部のScarboroughで開かれていたこのフェアは、13世紀から続く大規模な交易市でした。国内外の商人が集まり、布や香辛料、家畜などが取引される国際的な市場でもあ・・・
憲法を考える新着!!
5月3日は憲法記念日です。今年は憲法改定の議論も行われています。憲法とは何かを考える良い機会です。聖徳太子の「十七条憲法」、明治時代の「大日本帝国憲法(欽定憲法)」、そして現在の「日本国憲法」。これら三つの“憲法”は、同じ名称を持ちながら、その性格も目的も大きく異なっています。それぞれが生まれた時代の価値観を映し出し、日本社会の変化を語る鏡のような存在です。それらを比較しながら、日本人が「憲法」と・・・
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西行忌
今年の旧暦2月15日は、新暦4月2日になります。「願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」という有名な和歌でいう、2月満月15日が今日なのです。この日を西行忌として偲ぶ人は多いです。西行は平安末期から鎌倉初期にかけて活躍した歌僧です。俗名を佐藤義清といい、もとは北面の武士として朝廷に仕えていましたが、二十三歳で出家し、以後は諸国を旅しながら和歌を詠む生涯を送りました。その生き方は、武士・・・
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リンカーン
アメリカドライブ旅行から、話がちょっとズレますが、ゲティスバーグの演説のついでに、リンカーンについての日本の誤解を解いておこうと思います。日本では民主主義を説いたこと、奴隷解放をしたこと、という面だけが強調されています。それは事実ではありますが、アメリカによる戦後占領政策が民主党主導であったこと、日本を民主主義国家に「体制転換」させようとしたことと深い関係があります。ちょうど今、アメリカはイランに・・・
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上巳の節句
三月三日。桃の花がほころび始めるころ、日本では「上巳(じょうし)の節句」、いわゆる「ひな祭り」を迎えます。現代では女児の成長を祝う日として知られていますが、その根は、古く、そして少しだけ不思議です。もともと三月最初の巳の日に行われていた上巳の行事は、古代中国から伝わりました。人形(ひとがた)に自らの穢れや災厄を移し、川に流して祓う――いわば「厄祓い」です。人間は象徴を通して心を整理する生きものです・・・
天皇誕生日
天皇陛下、お誕生日おめでとうございます。 昭和、平成、令和を生きている人間にとって、天皇誕生日は3種類を体験しています。それだけ長く生きられた、ということに感謝すると同時に、元号の変遷を感慨深い思いで味わっています。昔は元号の変遷はしばしばありました。天皇の交代だけでなく、時代が良くなかったり、不吉なことが起こると改元が行われました。天皇の交代による改元に固定されたのは、明治以降ですが、令和だけは・・・
建国記念日
よく外国人から日本の文化の特殊性が指摘されますが、建国記念日もその1つです。世界中のどこの国でも建国(独立)記念日はその国最大の祝日で、国挙げてのお祭りになります。ところが日本の建国記念日は意外に地味です。中には反対する人さえいます。外国でも建国記念日に反対する人はいますが、それは内戦などによって、排除された反政府勢力です。とくに民族が異なる場合には、反対する気持ちもわからないではありません。もし・・・
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社会党再統一
1955年8月31日に日本社会党は左派と右派に分かれていたのが再統一されました。労働運動・平和運動を基盤に一定の勢力を保ちつつ、自由民主党政権と対抗する野党第一党として存在感を示しました。しかし、内部にはもともと左右のイデオロギー的対立が存在しており、現実路線を模索する右派と、革命的社会主義に近い左派の溝は埋まりきっていませんでした。このイデオロギー対立が噴出するかたちで、1959年には右派の一部・・・
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香港の占領から返還までの歩み
1945年8月30日、香港は日本軍の降伏により再びイギリスの統治下に戻りました。この日、イギリス海軍のシリウス号がヴィクトリア・ハーバーに入港し、直後に日本軍の降伏式が行われ、香港は再びイギリス植民地としての統治体制に復帰します。この出来事は、香港の20世紀史における大きな転機であり、ここから1997年の中国返還、そして今日の「一国二制度」下における政治的な揺れ動きに至るまでの複雑な歴史が始まった・・・
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日本初のテレビCM放映
1952年8月29日、日本で初めてのテレビコマーシャル(CM)が放映されました。これは日本テレビが開局する前の公開実験放送で流されたもので、記念すべき「日本初」のCMは、服部時計店(セイコー)によるものでした。時計の秒針が時を刻むシンプルな映像に「精工舎の時計をどうぞ」とナレーションが入る、きわめて簡素なものではありましたが、これが後のテレビ広告文化の幕開けとなります。 1952年は、ちょうどサン・・・
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世界初の油井が稼働
1859年8月27日、アメリカ・ペンシルベニア州タイタスビルという静かな田舎町にて、人類史上初めて、石油を意図的に地中から汲み上げる「油井(ゆせい)」が稼働しました。この出来事は、後の世界経済と文明の転換点となる産業の幕開けを告げたものでした。発明者の名はエドウィン・L・ドレーク。彼の挑戦と成功は、「石油時代」の扉を開いた歴史的な瞬間として今も語り継がれています。 19世紀半ば、それまで照明や潤滑・・・
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マンジケルトの戦い ― 東ローマ帝国衰退の転機
中東の歴史は日本から遠いこともあって、ほとんど学びません。しかし現代にもつながる側面が多いので、関心をもっていただきたいです。1071年8月26日、現在のトルコ東部で行われた「マンジケルトの戦い」は、中世の地中海世界と中東の勢力図を一変させた歴史的事件として知られています。この戦いは、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)とセルジューク朝トルコの間で行われ、結果はローマ皇帝ロマノス4世ディオゲネスの大敗北に・・・
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ニケーア公会議と三位一体の確立
西暦325年、ローマ帝国の都市ニケーア(現在のトルコ・イズニク)において、キリスト教史上初の「公会議(全世界規模の教会会議)」が開催されました。これは、コンスタンティヌス大帝の招集によるもので、帝国全土から300名を超える司教が集まりました。この会議は、単に神学的な論争を解決する場にとどまらず、ローマ帝国とキリスト教との関係を大きく変え、後世に決定的な影響を与える歴史的出来事となりました。 当時の・・・
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ボズワースの戦い ─ 薔薇戦争を終わらせた決定的一戦
1485年8月22日、イングランド中部レスター近郊のボズワース原野で、後世に「ボズワースの戦い」と呼ばれる歴史的戦闘が行われました。この戦いは、30年にもおよぶ王位継承争い「薔薇戦争」の最終章であり、イングランド中世史における大きな転換点でもあります。リチャード3世の敗北とヘンリー・テューダーの勝利は、テューダー朝の成立へとつながり、やがて絶対王政への道を切り開くことになるのです。 薔薇戦争は、1・・・
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トロツキー暗殺 ─ 革命の理想と粛清の果てに
1940年8月21日、メキシコ・コヨアカンにある一軒の邸宅で、ソビエト共産主義運動の象徴的存在であったレフ・トロツキーが凶刃に倒れました。犯人はソ連の秘密警察(NKVD)に属するラモン・メルカデルという男でした。暗殺の動機は明白であり、それはソ連の独裁者ヨシフ・スターリンの粛清政策の延長線上にありました。かつての革命の同志が、祖国を追われ、亡命先で暗殺されるというこの事件は、20世紀前半の国際共産・・・
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奉天事件がもたらした日本の対中政策強化
20世紀初頭、日本は日清戦争と日露戦争を経て、朝鮮半島と中国東北部(満州)において、軍事・経済両面で急速に勢力を拡大していました。その渦中に起きたのが、1910年8月20日の「奉天事件(ほうてんじけん)」です。この事件は、南満州鉄道をめぐる鉄道爆破未遂事件であり、当時の日本政府による中国への影響力強化の口実ともなった重要な出来事です。 まず背景として、日本がなぜ満州に強い関心を持っていたかを理解す・・・
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イラン(ペルシアの末裔)の近代史
1953年8月19日、イランの首都テヘランで、後に「8月クーデター」と呼ばれる政変が発生しました。これは当時の首相モハンマド・モサッデクを追放し、国王モハンマド・レザー・パフラヴィーの権威を回復させた事件であり、イランの近代史に深い影を落とす出来事です。このクーデターにはイラン国内の保守勢力に加え、アメリカCIAとイギリス秘密情報部(MI6)が関与していたことが後に明らかになり、冷戦期の中東情勢に・・・
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終戦後の混乱 ― 1945年8月17日の現実
1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し、昭和天皇による玉音放送によって国民に終戦が告げられました。しかし、それはあくまで「政治的決断」であり、戦場の現実とは必ずしも一致していませんでした。 8月17日、全国の多くの人々は「戦争が終わった」という安堵を感じ始めていた一方で、遠隔地や戦線では依然として混乱が続き、犠牲者も出ていました。最大の要因は、停戦命令が全ての戦域に即時には伝わらなかった・・・
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戦後最初の犠牲
1945年8月15日正午、日本国民はラジオから流れる昭和天皇の玉音放送を通じて、ポツダム宣言受諾と戦争終結を知りました。長く続いた戦火の日々が終わったという安堵は、疲弊しきった人々にとって救いであり、同時に敗戦の痛みを伴う瞬間でもありました。 しかし、この“終戦”は必ずしも即座に戦闘の終結を意味しませんでした。通信網の寸断や情報伝達の遅延、現地部隊の判断の遅れなどにより、翌16日にも一部地域では戦・・・
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