米国の平等主義の原点

アメリカの「平等」の礎を築いた日である1868年7月9日に、アメリカ憲法修正第14条が批准されました。この日は、アメリカ合衆国の歴史において極めて重要な意味をもつ一日です。この日、アメリカ憲法修正第14条が批准され、「すべての人間が法の下に平等である」という理念が、初めて明確に憲法に刻まれました。この改正条項は、南北戦争後の再建期における政治的・社会的改革の中心的な柱であり、今日に至るまでアメリカ社会の法と政治に多大な影響を与え続けています。この修正条項が生まれた背景には、アメリカ南北戦争(1861〜1865年)の深い影がありました。奴隷制度を巡って分裂した北部と南部が激突したこの戦争の結果、奴隷制度は公式に廃止され、黒人は自由を手にしました。しかし、それは形式的な解放にすぎず、多くの元奴隷たちは差別や暴力、制度的な不平等に苦しみ続けました。自由を得たはずの彼らが真に市民としての権利を享受するには、さらに明確な法的な裏付けが必要だったのです。このような状況の中で成立したのが、第14条です。その主な内容は以下の通りです:
出生地主義による国籍の付与:アメリカで生まれたすべての人に市民権が与えられる。
法の下の平等保護:いかなる州も、誰かを法の下において平等に扱わないことは許されない。
適正手続きの保障:自由や財産を奪う場合には、正当な法の手続きが必要である。
これらの原則は、奴隷解放後のアメリカ社会において、黒人をはじめとするすべての人々の権利を守るための根幹をなすものでした。興味深いのは、この第14条が単に黒人市民のためのものではなく、その後のアメリカ社会における多くの人権闘争の法的根拠ともなった点です。たとえば、20世紀の公民権運動において、キング牧師らが唱えた「平等」は、第14条の理念に基づいています。また、近年ではLGBTQ+の権利、女性の権利、移民の子どもの市民権など、さまざまな問題において第14条が裁判所で争点となり、保護の根拠として機能しています。さらに、この条項はアメリカの「連邦主義」の枠組みにも大きな影響を与えました。もともとアメリカ合衆国は州の独立性が強い国であり、各州が独自の法律や制度をもっていました。しかし第14条は、州による不平等な法律や政策を連邦憲法によって制限することを可能にし、連邦政府が個人の基本的人権を守る役割を強化しました。もっとも、現実のアメリカ社会では、第14条の精神がすべての場面で完全に守られているわけではありません。人種差別、貧富の格差、不法移民への排除など、現代にも多くの課題が残されています。しかし、そのたびに人々は第14条に立ち返り、「法の下の平等」という憲法の約束を根拠に、変革を求めてきました。「人は生まれながらにして平等である」という思想が、初めて法の形をまとった日でもあります。その精神は150年以上を経た今なお、世界中の人々の自由と尊厳を支える礎であり続けています。ただ日本で誤解があるのは、「神の下での平等」というキリスト教が土台にある点です。日本での平等議論にはそこが欠けています。
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