「乃東枯」─静かに季節がうつろう時


乃東枯の咲く様子を描いたイラスト

私たちの暮らしのなかに、季節の移ろいをしみじみと感じさせてくれる言葉があります。そのひとつが、七十二候の「乃東枯(なつかれくさ かるる)」です。これは、夏至から始まる三候のうちの第三候で、例年新暦6月26日ごろから30日ごろにあたります。「乃東」とは、現代ではあまり耳にしない言葉ですが、実はこれには深い自然観と薬草文化が結びついています。

「乃東」は、「だいとう」や「ないとう」とも読まれる古名ですが、七十二候では「なつかれくさ」と訓読されます。この草の正体は、夏枯草(かこそう)=ウツボグサ(靫草)です。シソ科の多年草で、6月から7月にかけて紫色の花を咲かせ、花のあと、まるで枯れたような姿になります。この植物の姿の変化が、「乃東枯」の語源です。花が終わって枯れゆく様子は、いわば盛夏を前にした静かな区切りであり、梅雨明けが近いことを知らせる自然のサインでもあるのです。

夏枯草(ウツボグサ)は、その名のとおり夏に枯れる草です。しかし、その枯れたように見える時期こそ、薬効が高まると言われています。中国の古典「神農本草経」にも登場し、漢方では利尿・解熱・抗炎症などに使われてきました。日本でも、古来より民間薬として煎じて飲まれることがありました。また、その花穂は武士の使う「靫(うつぼ)」の形に似ていることから、「靫草(うつぼぐさ)」とも呼ばれています。戦いの道具に似た形の植物が、癒やしの薬草としても使われてきたというのは、自然の面白い皮肉のようでもあります。

「乃東枯」は、夏至を基準とした七十二候の最終候であり、次の節気「小暑」へとつながる季節の橋渡しでもあります。この後、七月初旬には本格的な夏の気配が立ち上がってきます。つまり、「乃東枯」は、湿気をまとった空気のなかで、花の命が静かに幕を閉じる一瞬を私たちに教えてくれる季節語なのです。

「枯れる」という言葉は、どこか寂しさや衰えを連想させます。しかし、「乃東枯」における「枯れ」は、終わりというよりも変化の始まりを意味します。花が終わり、種を実らせ、次の命を育む準備が始まる──。それは、私たちの人生や季節のサイクルにも重なる部分があります。しずかに役割を終え、次なる段階へと向かう草花の姿に、人間の営みの縮図を見ることができます。

「乃東枯」という言葉に親しむことで、日々の暮らしの中にささやかな自然の変化を見つける感性が育まれます。たとえば、公園や野道で、ウツボグサや枯れかけた草花を探してみるのもいいですね。漢方茶や民間薬草の知識に触れてみるのもどうでしょうか。また花が終わっていく様子を「寂しさ」ではなく「巡り」として味わうという感覚も新しくありませんか。

乃東枯は、日々のなかで見過ごされがちな自然の終わりと始まりを、繊細な感性で捉えた日本の暦の知恵です。現代の都市生活では草花の枯れゆく瞬間に気づく機会は少ないかもしれませんが、暦に耳を澄ませれば、そこには豊かな四季のリズムが生きています。

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