アメリカ障害者法(ADA)の成立とその意義


障害者差別解消のイメージ画像

1990年7月26日、アメリカにおいて歴史的な法律が成立しました。それが「アメリカ障害者法(Americans with Disabilities Act, ADA)」です。この法律は、障害のある人々に対する差別を禁止し、すべての市民が平等に暮らせる社会を目指して制定されたものであり、アメリカのみならず、世界の人権保障の在り方にも大きな影響を与えました。

ADAは、アメリカ合衆国憲法に基づく権利を、障害のある人々にも実質的に保障することを目的としています。公民権運動の流れを汲むこの法律は、人種や性別に加え、「障害」を差別の対象としないという理念の下に設計されました。署名したのは、当時のジョージ・H・W・ブッシュ大統領。ホワイトハウスの南庭で、車椅子利用者など障害当事者たちとともに法案署名が行われた光景は、今なお語り継がれる象徴的な瞬間です。

ADAは、広範な分野にわたって差別禁止を明記しています。第一に、就労の機会に関して、雇用主は障害を理由に採用や昇進を拒否してはならないと定めました。第二に、公共サービスへのアクセスの保障、すなわちバスや鉄道といった交通機関、官公庁の建物、学校などがバリアフリー化される必要があることを義務づけました。第三に、ホテル、レストラン、映画館といった民間施設も、車椅子の利用や盲導犬の同伴などに配慮する義務を負うようになりました。さらに重要なのは、「合理的配慮(reasonable accommodation)」という考え方です。これは、障害のある人が他者と同じように活動できるよう、環境や制度を調整する責任を社会が持つという発想です。たとえば聴覚障害者のために手話通訳を用意したり、視覚障害者のために点字資料を提供したりといった対応が、制度的に求められるようになりました。この法律の成立は、単なる制度改革にとどまらず、社会の意識をも変革しました。障害者が自らの権利を堂々と主張できるようになり、アメリカ国内では障害者運動が大きく前進しました。加えて、多くの国がADAを参考にし、自国の障害者差別禁止法制の整備を進めるきっかけともなりました。たとえばイギリスの「障害差別法」や、カナダの「Accessible Canada Act」なども、ADAの影響下にあると言われています。

一方で、ADAは万能の法律ではなく、施行後もさまざまな課題が残りました。合理的配慮の範囲をめぐる企業との訴訟や、地方自治体の対応のばらつき、また精神障害や発達障害を持つ人々への支援の遅れなどが問題となりました。しかしながら、それでもなおADAが社会に及ぼした変革の意義は非常に大きく、「誰一人取り残さない」という理念を実現するための先駆的な一歩であったことは間違いありません。現在、日本を含め世界各国でもバリアフリーやインクルーシブ教育が進められていますが、依然として制度や意識の面で課題が山積しています。そうした中、ADAの成立から学べることは少なくありません。社会はただ法を整備するだけでなく、当事者の声を聞き、現実の生活の中での「障壁」を共に考えながら、真の平等に近づく努力が求められているのです。実際、アメリカへ輸出している日本企業は大きな転換を迫られました。

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