手話の雑学11

幼児語や母親語を言語変種と考えるなら、それは一人の人間の中で、発達に応じて次々と変種が変わっていく、ということを示しています。こうした個人の変種の変化が総体となって、社会全体に及んでいくのが、社会変種です。ここでまず、個人変種と社会変種という区別があります。もちろん、個人変種と社会変種は無関係な独立した存在なのではなく、個人変種は生物としての発達、つまり言語機能である口腔の発達や手指の発達と脳の発達は、社会との接触という、社会環境による影響が深く関わっています。その社会との関り方が、また個人により違っているのです。親、周囲の大人、教育、経済環境、宗教環境、文化環境などが「みんな違っている」といえます。似たような環境である兄弟でさえ、上や下に兄弟姉妹がいると、その生まれた順位にもよりますし、人数にもよります。一人っ子もそういう環境といえます。こうした生後の環境がその人の発達、とくに社会的な発達に影響があることを否定する人はいません。ただ、性格や病的なものは必ずしも社会環境だけとは言い切れない面もあります。
手話の習得において、本人の聴覚障害という音声言語獲得に不利な条件がある場合、両親の言語、周囲の言語、教育といった社会環境による影響が大きいことは容易に想像できます。そして、生後すぐの失聴か、成人後の失聴か、その両者の途中の失聴かによって、その段階までに獲得した音声言語との関係でいろいろな変種がでてきます。そして、同じ失聴といっても、片耳か両耳か、その聴力損失度は経度が中度か重度か、によっても様々です。聴力に損失があっても、音声言語をまったく習得しない、ということはありえず、絵や文字による情報収集もあり、近年では動画も一般的になってきており、それらの視覚情報は音声言語が背景にあります。まとめると、聴覚に障害がある=音声言語がない、というのは間違ったイメージです。聴覚障害者ごとに音声言語の変種があるのです。これは手話についても同じことがいえます。手話学習の時期、程度、経験量によって、さまざまな変種が生まれます。「ろう者の手話」というような一括りにできるものではない、ということを理解したいところです。これは聴者にも当てはまります。手話への接触がまったくなければ学習の機会がないので、手話の変種はない、といってよいでしょう。しかし、どこかで手話学習をすれば、それが手話の変種となります。それはいわゆる「初歩的」なものから、高度なものまであります。聴者にも「手話の変種」が存在します。このように変種は個人の学習状況と関係があるので、聾者と難聴者と聴者では、変種に違いがあることが想定できます。これもざっくりとした区別はできますが、一括りにできないことは言うまでもありません。
このように考えてくると、「変種はいくつあるのだ」という疑問が湧いてきます。回答は「無限にある」ですが、それでは困ることもあります。教育や言語学習の場では、ある程度「標準的な変種」が必要です。そういうまとまりはどのようにして作ったらいいでしょうか。
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