手話の雑学36

日本で普及しているインターネット通信のLINEのような親しい間のやり取りでさえ、電話と違い、不揮発化が容易であり、近年では、裁判の証拠となることもあります。言い方を変えると、昔は情報の揮発性の分類が明確であったのが、技術革新によって、区別が曖昧になってきています。
こういう時代背景を考えると、手話は現状、ほぼ揮発情報としての利用がほとんどですが、時代的に不揮発情報としての記録化や文字化が必要になってきます。「手話には文字がない」という歴史があり、過去の文献においても、手話が直接記録されている例は稀有で、古くは映画、一部はビデオという記録はありますが、ほぼ文字による記録はありません。いわゆる「手話辞書」も極めて少数です。その数少ない手話辞書も、手話通訳養成の教科書として発行されたものがほとんどで、今もその傾向は変わっていません。文字がないので、「手話文学」や「手話芸術」も限られてきました。しかし最近、インターネット上には、手話による配信も少しずつ増えてきており、不揮発化された手話情報が増えてきてはいます。それらの動画をまとめた研究資料として、「世界の手話データセット」というものも、公開されており、一部の手話研究者には利用されています。手話の動画は「顔出し」のため、肖像権や著作権の問題があり、動画そのものが公開されているのではなく、その動画のURLが公開される、という間接的な情報公開となっています。とはいえ、世界の手話が見られるようになっている、というのは時代の変化を感じざるをえません。
このように言語としての手話はすでに広く知られており、実物が公開されているので、今更「手話は言語か」という議論をすることに意味はなく、「手話はどういう言語か」という議論に変化する局面になってきています。
いろいろな言語の実態や構造がどの程度知られているか、については、言語によって、かなりの差があります。英語のように深く広く長く研究されている言語もあれば、「危機言語」と呼ばれる消滅寸前の言語もあります。その差の原因は、言語学者以外の人々の関心度が強く影響します。たとえば、戦争中の敵言語の研究は一時的に盛んになります。それは軍事目的があるからです。日本語についても、太平洋戦争以前は、日本国内での日本語研究つまり国語学が中心でしたが、戦中にアメリカによって研究が進み、戦後はとくにアメリカ言語学の枠組みで日本語を研究する日本語学が急増しました。このように言語研究は時代背景と無関係ではありません。手話研究についていえば、当初は聾教育との関係から始まり、手話通訳制度の進展による手話研究として発達し、少し前までは、生成文法理論における言語の普遍性の研究対象としての手話研究が中心でした。最近になって、世界の手話を統一的に扱うのではなく、各手話ごとの研究がようやく始まった段階にあります。とはいえ、日本手話をアメリカ手話学とは異なる枠組みで研究しよう、という動きはまだまだです。
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