旧暦9月2日(仏滅甲子)

旧暦や六曜、干支が交わる「9月2日・仏滅・甲子(きのえね)」という日は、暦の上で興味深い重なりを見せる日です。ここでは、その由来や意味、そしてそこから見えてくる日本人の時間感覚について考えてみましょう。もともと「仏滅」は、六曜の一つで「万事に凶」とされる日です。婚礼を避け、葬儀を選ぶ日という俗信が根づいています。しかし六曜そのものは、古代中国の「先勝」「友引」「先負」「仏滅」「大安」「赤口」から成り、もとは時刻占いに近いものでした。日本には鎌倉末期から南北朝期に伝わり、江戸時代の暦に印刷されるようになると、庶民の行動指針として定着していきました。科学的根拠はもちろんありませんが、社会生活の中で“なんとなく避けたい日”として機能しているのが現代でも不思議な継続力です。
一方、「甲子(きのえね)」は、六十干支の最初にあたる日です。十干の「甲(きのえ)」は木の陽、十二支の「子(ね)」は水の陽にあたり、どちらも生命の萌しや始まりを象徴します。つまり甲子の日は“万物の種が芽吹く”スタートの日なのです。このため、古くから商いの始めや新しい事業を起こすのに吉日とされてきました。商売繁盛の神・大黒天を祀る「甲子祭」は、全国の寺社でこの日に行われ、庶民信仰の中で独自の吉日観を育ててきました。ここに「仏滅」と「甲子」が同居するというのが9月2日という日の面白さです。一方では「何をしても運が悪い」とされ、もう一方では「すべての始まりに最適」とされる。まるで相反するようですが、日本人の暦観はこの矛盾を楽しみ、折り合いをつけてきました。どちらを重んじるかは人の心次第。仏滅の慎みを守りつつ、甲子の新しさに踏み出す――そのような二重構造の感性こそ、日本文化の柔軟さを象徴しています。陰陽の転換点に立つこの時期に「仏滅」と「甲子」という陰陽の対極が出会うのは、まるで自然と人間の暦が共鳴しているかのようです。
暦とは、単なる日付の記号ではなく、人々の心のリズムを映す鏡でもあります。吉凶を超えて、自らの日々の始まりをどう意味づけるか――その自由を私たちは持っています。たとえば仏滅の静けさを「熟考の日」と捉え、甲子の生気を「再出発の力」とみなせば、この日はむしろ深い意義を持つ節目になるでしょう。暦の妙味は、時間を単なる流れではなく「意味ある配置」として読み解こうとする人間の知恵にあります。仏滅と甲子が重なる日には、その知恵がとりわけ鮮やかに表れています。古代の人々にとって、時間は自然の循環と共鳴するもの。暦を読むことは、天の理(ことわり)を知り、地の気を感じ取る行為でした。そうした感性が現代の私たちにも、形を変えて残っています。たとえば甲子信仰を象徴する「大黒天」は、インドの神マハーカーラに起源をもち、中国で財福神と結びつき、日本では神道の大国主命と習合しました。六十日に一度の甲子の日には「大黒祭」が開かれ、米俵を担ぐ大黒様に商売繁盛や五穀豊穣を祈ります。迷信というより、吉凶を越えて「日を生かす」実践的な民俗智といえます。
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