霜降


紅葉の葉に霜が降りているイラスト

霜降(そうこう)は、二十四節気の第十八にあたり、秋の終わりを告げる節目です。現在の暦ではおよそ十月二十三日ごろにあたり、太陽が黄経二百四十度の位置に達する日を指します。文字どおり「霜が降りる」時節であり、朝晩の冷え込みがぐっと厳しくなり、草木や屋根の上に白い霜が降り始めるころです。秋の静かな終章であり、冬の前奏曲ともいえるこの時期には、自然のうつろいがいっそう繊細に感じられます。

「霜」は、空気中の水蒸気が地面近くで冷やされて氷の結晶となったものです。つまり、空気が澄み、風が弱く、放射冷却が進むほどよく見られます。現代の都会では舗装や建物の影響で霜を目にする機会が少なくなりましたが、田園や山間では早朝の畑や草むらが白く輝き、夜露とはまた違う冷たさを伝えます。古人にとって霜は、季節の指標であり、また心の象徴でもありました。『万葉集』には霜にまつわる歌が多く、しばしば「移ろい」「別れ」「無常」といった情感と結びつけられています。この時期の七十二候では、

初候「霜始降(しもはじめてふる)」
霜の初見を告げる候で、秋が深まったことを実感させます。

次候「霎時施(こさめときどきふる)」
しとしとと時雨が降る情景を指し、冬の足音が聞こえます。

末候「楓蔦黄(もみじつたきばむ)」
紅葉の最盛期を告げ、山が錦に染まる華やかな時です。

このように霜降は、冷たさの中にも豊かな色と香りが満ちる季節なのです。霜降のころは、季節の美を感じる詩情にも満ちています。夜明け前の冷気が肌を刺し、空には冬を予感させる透明な星が瞬きます。昼間は晴れても風は冷たく、日が沈めば急に冷え込む。そんな日々の中で、人々は衣を重ね、火のぬくもりを恋しく思い始めます。古くから「秋の終わりは人恋しさの始まり」とも言われ、霜降は感情の季節でもありました。

文学の中でもこの時期は、人生のはかなさや成熟の象徴として描かれます。たとえば俳句では、「霜」や「時雨」が季語として多く詠まれ、自然の冷たさの中に人の情がにじみます。松尾芭蕉の「初しぐれ猿も小蓑をほしげなり」という句などは、まさに霜降の情景を思わせるものです。霜降は単に寒さの訪れではなく、自然も人の心も次の季節への静かな移行を遂げるときなのです。

また、霜降を境にして山々では紅葉が最盛期を迎えます。赤や黄に染まる木々が朝日に照らされ、霜をまとった葉がきらめく光景は、まるで自然が織りなす錦の絨毯のようです。この短い華やぎののち、やがて葉は落ち、木々は裸になり、冬の沈黙へと向かいます。その一瞬の輝きにこそ、無常を知る日本人の美意識が宿っているのでしょう。農業では霜降は収穫の終盤にあたります。稲刈りがほぼ終わり、柿や林檎が実を結び、里山には冬支度の気配が漂います。人々は土をならし、来るべき寒さに備え、干し柿や漬物など保存食を作り始めました。自然と共に生きる暮らしでは、霜の降りるタイミングがまさに季節の境界線なのです。

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