手話の雑学57


手話で話す女性のイラスト

「バベルの塔」伝説は「神は1つ」というだけでなく、「人もアダムとイブから始まった」「人が増えるにつれて、傲慢になり、高い塔(バベルの塔)を作って、神に近づこうとしたので、神はバベルの塔を壊し、同時に人は別々の言語を話すようになった」という説明でもあったわけです。ところが植民地政策によって、アフリカやアジアにキリスト教徒が出かけるようになって、元が1つにしてはあまりに違いが大きいということに気づいたと同時に、インドの古代語がヨーロッパの言語によく似ていることが発見されて、さらに議論が混沌としてきました。言語の中に、まったく異なるタイプがある、という事実と、元が同じらしい言語がインドという遠い地域の、しかも古代語にある、という矛盾した現実が目の前に現れたのです。「バベルの塔」伝説は正しいのか、間違っているのか、判断ができない重大は宗教上の議論になってしまいました。それまでも、「ノアの箱舟」伝説の箱舟の残骸とアララト山とか、イエスの聖布とか、いろいろありましたが、これらは「現物」という物があれば解決できる問題ですが、言語の場合、文献以外の物がないので、研究成果が結論を左右します。その研究には、視点が必要なので、「言語普遍論」と「言語相対論」があり、それが未だに解決していないわけです。手話が言語である、という研究の視点も当然、この2つの視点があるのですが、現状は言語普遍論による枠組みが主流になっています。まず言語普遍論の立場から考えると、語彙の類似は元が1つだとすれば、変化過程は時間的変化に比例するはずです。そこで、元の語彙を祖語として設定し、現状の変化状態を比べて、過去の文献を調べて、その民族の歴史を知ることで、変化の法則を知り、そこから祖語を推定する方法を作り出しました。それが「比較言語学」です。この分野は今は昔ほど隆盛ではありませんが、今も「歴史言語学」として続いています。ことに文法の違いがどうして生まれたのか、どのように変化してきたのか、という知的好奇心は残っているからです。実際、語源に興味を持つ人は多いです。語彙は早く変化し、次々と新しいコトバが生まれてきますが、文法の変化は相当ゆっくりです。文法が次々と生まれることはないのですが、それでも長い間には変化します。日本人なら「古文」に接する機会があり、語彙だけでなく文法の違いがわかります。これは日本語の歴史が長いという証拠です。実は言語変化は社会の中で自然発生的に変化するだけでなく、植民地化とか占領という外国による支配によって、変化することもしばしば起こります。混成語(ピジン)と呼ばれる第三の言語が生まれます。混成語の場合、言語に優劣関係が生じます。支配者の言語が優勢、被支配者の言語が劣勢です。そして被支配者側が支配者に合わせようとするので、優勢言語の語彙が使用され、文法と発音は劣勢言語のものが使用されます。とくに文法は簡略化されたものに限られます。支配者が混淆語を使うことはまずなく、被支配者がもっぱら使用することになります。支配者は混淆語に「低い言語」「不完全な言語」という価値観をもちます。

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