手話の雑学63


手話で話す女性のイラスト

前のコラムで「仮に」としたのは、その構造分析で正しいのかどうかを別の語でも検証してみる必要があるからです。たとえば、日本手話の「歩く」では、「二本指を交互に動かす」ですが、その動かし方で、「速く歩く」「ゆっくり歩く」「ジグザグに歩く(千鳥足)」のように意味が変化します。従来はこれを「副詞的変化」と説明してきましたが、これでは構造的な説明にはなっていません。形態論的な考察をすると、変化しないのは「二本指」で、動きは変化するので、語幹は「二本指」、動きが接辞ということになります。「会う」では動きが語幹の一部、「歩く」では動きが接辞というのは、矛盾のように思われます。そこで、動きをそのまま要素として考えるのではなく、さらに細かく分析してみる必要があります。「会う」の場合は、「接近するという単純な動きですが、「歩く」の場合の動きの変化は、共通部分は「前に移動する」ことであり、「速度」「様態」などの要素が絡んできていることがわかります。すなわち、動きはいろいろなさらに細かい形態素が同時に組み合わさっている、という構造であることがわかります。すなわち、単純形態素と複合形態素があるわけです。そして動きはそれだけで存在できない要素です。動く主体つまり手がないと、動きだけでは存在できない非自立的ないし付属的要素です。一方の手の方はそれだけでも存在できます。いわば自立的要素です。この自立的形態素は言語学用語では自由形態素、非自立的形態素を拘束形態素と呼んでいます。こうした分析の結果、手の形が語幹、手の動きが接辞である、ということが決定できそうです。

ここでさらに難しい文法論に入ります。名詞や動詞という「詞」という概念は、文中における「語」の機能なので、形態素にそのまま適用することは混乱を生じます。そこで「名詞的な機能」をもつ要素を詞でも形態素でも通用するような概念として、「項」が用いられます。項に関する言語学理論はかなり複雑ですから、詳細はここでは省略し、ざっくりと「主語や目的語になる要素」としておきます。ここでいう主語や目的語も「語」ですから、形態素としては不適合です。まず、やや高度な知識として「名詞は主語や目的語になる語」ということを思い起こしてください。その定義の「語」を「要素」にして、形態素でも使えるように改訂したものです。そこで日本手話の「会う」を再分析すると、「会う」は両手の位置により、「私があなたに合う」「AとBが会う」のように、両手が項の役割をしていることがわかります。「走る」の場合だと、「二本指」が項です。つまり「手が項になっている」と結論できそうです。そこで少し深い考察になりますが、日本手話では「私があなたに合う」も「私とあなたが会う」も同じです。というよりも、「どちらが主語で、どちらが目的語かわからない」のです。そもそも「私があなたに会う」という日本語はやや違和感があります。「私とあなたが会う」が自然な表現であり、この場合の主語は何かがわかりません。「が」が主語を示す助詞である、ということであれば、「私とあなた」が主語です。

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