手話の雑学89


手話で話す女性のイラスト

2.身体性の言語論

言語は頭の中の霧のような構造ではなく、身体的な動き・知覚・行為の延長線上にあるという考え方です。とくに手話学はこの仮説の最前線に立っています。興味深いのは、手話と音声言語が別々に進化したのではなく、「身体的ジェスチャーから音声と言語的手話が分岐した」という視点です。人間は姿勢・視線・手の形・リズムなどを非常に細かく制御できます。これが「表象のプラットフォーム」として働いたのです。身体性言語論の核心は、言語が「身体の動きが象徴化していくプロセス」と切り離せず、手話の「空間の文法」や「図像性」はその証です。脳科学的には、手話でも音声でも言語として扱われると、ブローカ野(統語処理)・ウェルニッケ野(意味処理)が同じように活動します。つまり媒体(音 or 手)は違っても、象徴化の回路は同じです。

では、なぜ人間だけが「文法」を持つのかという問題です。
動物もコミュニケーションはしますが、文法という仕掛けを作ったのは人間だけです。文法とは、記号を記号として組み合わせるための圧倒的に抽象的なルール体系です。なぜそこまで飛躍できたのかというと、考えられている鍵は三つあります。

(1) 記号の「分節化」

人間の言語は、音素や手形・動作素のように、意味を持たない最小単位(第一分節)と、意味を持つ単位(第二分節)を組み合わせる二重分節を持っています。この機能によって、無限の語彙を有限の要素から生成できるようになります。動物の多くは、サインと意味がひとまとまりであり、複製はできても再構築はできません。

(2) 心の「再帰性」

再帰性とは、“入れ子構造を作る”心の働きのことです。「Aが思うBが言ったCの考え」という構造です。文法、とくに埋め込み構造(関係節や補文)は、再帰性がないと成立しません。チンパンジーは単語レベルの区別は学べても、再帰的な構造化はほぼ不可能とされています。

(3) 社会的進化圧

人間は異常なほど“協働的”な動物で、群れの人数も多く、役割分担も複雑でした。この環境では、曖昧な身振りだけでは情報が破綻しやすいといえます。そのため、より精密な記号体系=文法が進化圧として働いたと考えられます。言い換えると、情報の精密化が生存戦略になったため、文法が勝ったという見方です。社会が発達するにつれ、情報の精密化が必要になり、その圧力が文法という規則化を促進したというわけです。

三つをまとめると象徴化(意味をつくる力)、身体性(身体でそれを表す基盤)、文法(構造化の飛躍)が絡まり合ったとき、言語という特異な文明装置が生まれた、ということになります。

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