手話の雑学115 文法の過剰般化

手話の文法はまだ全容が解明されているわけではありませんが、手話通訳のデータが増えたことで、文法的な対応関係がだんだん見えてきました。
たとえば日本語が助詞で表現する内容はほとんどの場合、間をおいたり、口形をつけたり、特定の手話語彙をつけることで説明するという方略を採っていると考えられます。日本語の「~は」という格助詞の表現は、ほとんどの場合、いわゆる「話題化構文」という、「何」という語彙を文中に示し、疑問の表情をなくして、小さな間(ま)を置く、そんな表現で対応されるようになりました。この対応表現は元からの聾者の手話にもありますが、頻度はそれほど高くありませんでした。しかし日本語には「~は」は頻繁に登場するので、手話翻訳には当然頻度が高まります。つまりピジン手話に語彙だけでなく、文法が借用されるようになった言語現象といえます。このように、元々あった言語現象が借用されて多用されることを「過剰般化」といいます。このようにしてピジン言語も進化していくわけです。
また、手話の複数形であるsign languagesを表現するには、「手話」「いろいろ」のように後から語を付けることが多いと思われます。日本語が前置なのに対し、手話は後置が一般的という法則も見られます。これも「修飾語の後置」という手話文法が応用されています。この「いろいろ」という表現も昔の手話には頻繁に登場するものではなかったのですが、手話通訳者が「抽象的概念」を表現するのに借用するようになってから、急速に増えました。日本語の「~など」にほぼ対応します。昔からの伝統的な手話のみを日本手話と主張する人々は、いわゆる日本語対応手話を語彙と語順だけに拘る傾向があり、従来からあったこうした文法の借用と過剰般化には気が付いていないようです。こういう主張の人々は手話と日本語という対立的な存在のみを想定していて、混淆という言語現象を無視しています。混淆してピジンという新たに発生した言語を認めていないようです。そして、その混淆言語も自然言語である、という事実を認めようとはしません。また「言語の進化」という現象も無視しています。
言語は人間のように成長し、それにつれて心も成長し変化していく、という考え方を受け入れられないようです。つまり現実を認識することよりも、理想という観念に支配され、それに基づいた社会運動を展開するわけですから、ある意味、いわゆるポリティカル・コレクトネス(通称ポリコレ)との親和性が高いので、そういう政治勢力に取り込まれていくことになります。実際、アメリカでは聾運動と民主党は親和性が高く、民主党政権の時に予算が増え、共和党政権では縮小される、という顕著な政治経済問題になっています。日本ではそれほど顕著ではないようですが、それでも聾運動と福祉運動、市民活動などとの親和性は高く、それに聾団体や手話通訳団体が深く関わっている、という社会構造があります。そうした実態について、本稿では避けますが、海外の社会学者の中にはそういう指摘もあります。当然ながらそうした書物の翻訳はなされないので、ほぼ知られていません。
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