日本史と世界史で読み解く 北米建国物語 第2回(続々)「同じ1600年代」が全く違う方向

十三夜の月のイラスト

1600年代初頭の世界を一枚の地図として眺めると、とても興味深い光景が浮かび上がります。日本では徳川家康が江戸に幕府を開き、国内の戦乱を終わらせようとしていました。

イギリスではジェームズ1世が即位し、北米植民地の建設が始まります。

フランスではシャンプランがケベックを建設します。

スペインはすでにメキシコやフロリダなど広大な領域を支配していました。

つまり17世紀初頭は、日本にとって「国内統一の完成」であると同時に、ヨーロッパにとって「海外進出の本格化」の時代だったのです。そして、日本は「鎖国」へ、北米は「開拓」へと、この違いは、17世紀を通じてさらに大きくなっていきます。日本では徳川幕府がキリスト教を警戒し、海外との関係を厳しく管理します。1630年代にはいわゆる「鎖国」体制が形成され、海外との交流は長崎などに限定されていきました。

一方、北米ではイギリス人、フランス人、オランダ人が次々に植民地を建設していきます。

1607年のジェームズタウン。

1608年のケベック。

1620年のプリマス。

1624年のニューアムステルダム。

1630年のボストン周辺。

こうして北米東部には、ヨーロッパ系住民による社会が次々に形成されていきます。そして、その社会はやがて「十三植民地」と呼ばれるようになります。

・二つの「新しい社会」

この時代の日本と北米を比較すると、非常に興味深い共通点もあります。

日本では、戦国時代の混乱を終わらせるために、徳川家康が新しい政治秩序を作りました。

北米では、ヨーロッパから渡ってきた人々が、新しい土地に共同体を作りました。

どちらも、「新しい社会のルールを作る」という課題に直面していたのです。

ただし、その答えは正反対でした。日本は、幕府を中心とする安定した身分社会。北米では、

植民地ごとの自治と多様な共同体を形成していました。

もちろん、北米の植民地社会にも階級や奴隷制度があり、「自由な社会」だったわけではありません。それでも、後のアメリカ政治につながる「自治」「代表」「住民による意思決定」という経験が、植民地社会の中で少しずつ蓄積されていきました。

・1603年を二つの世界から見る

1603年という年を、日本史だけから見れば、徳川家康が江戸幕府を開いた年です。

しかし世界史の視点を加えると、もう一つの意味が見えてきます。それは、日本が国内の安定へ向かった年に、北米では海外植民地建設への動きが本格化していたということです。この二つの道の違いが、100年、200年という時間をかけて大きな差となっていきます。日本は江戸という一つの政治秩序の中で、独自の文化と経済を発展させます。北米では、異なるヨーロッパ諸国の植民地が競争し、多様な人々が流入し、自治制度が発展していきます。そして1776年。ジェームズタウン建設から約170年後、北米の十三植民地はイギリスに対して独立を宣言することになります。その時、日本はまだ江戸時代の真っただ中でした。

この「時間差」を理解すると、幕末に日本がアメリカと出会ったとき、なぜ両国の社会がこれほど違っていたのかも見えてきます。

次回は、その江戸時代の日本をさらに詳しく見ながら、「家康が江戸幕府を開いた頃、北米でも新しい社会が始まった」というテーマへ進みます。

江戸の町が発展していく一方で、北米では先住民族とヨーロッパ人の関係が変化し、植民地社会が形成されていきます。同じ17世紀、太平洋を挟んだ二つの地域で、人々はまったく異なる「未来」を作り始めていたのです。

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