日本史と世界史で読み解く 北米建国物語 第6回 吉宗の改革と十三植民地の発展(2)

十三夜の月のイラスト

― 江戸の財政再建と、大西洋を渡って成長する北米 ―

同じ頃、北米では人口が急増していた

では、18世紀前半の北米を見てみましょう。

イギリス領十三植民地では、人口が急速に増えていました。移民がヨーロッパから渡ってきます。イギリス人だけではありません。ドイツ人。スコットランド人。アイルランド系の人々。フランス系の人々。その他、多様な背景を持つ人々が北米へ移住してきました。さらに植民地で生まれた人口も増えます。その結果、18世紀を通じて植民地人口は急速に拡大しました。

これは日本との大きな違いです。

日本は江戸時代中期に人口増加が比較的緩やかになります。一方、北米植民地では人口が増え続けます。その人口を支えたのが、広大な土地でした。

「土地」が経済を変えた

北米には、ヨーロッパ人から見れば広大な土地がありました。しかし、ここでも注意が必要です。「土地が余っていた」という意味ではありません。その土地には先住民族が暮らしていました。ヨーロッパ人が西へ農地を広げることは、先住民族の土地を奪うことと表裏一体でした。それでも、植民地側の人口増加と農地拡大は止まりません。森林を伐採し、農地を作り、町を建設し、道路や港を整備する。こうして植民地の経済圏が拡大していきました。

バージニアとタバコ

十三植民地の経済を理解するために、まずバージニアを見てみましょう。バージニアではタバコ栽培が経済の中心となりました。タバコはヨーロッパで人気が高く、輸出商品として大きな利益を生みました。しかし、タバコ栽培には大量の労働力が必要でした。その結果、アフリカから連れてこられた人々が奴隷として使われるようになり、奴隷制が植民地社会に深く組み込まれていきます。ここには、アメリカ史の大きな矛盾があります。

「自由」を求めるヨーロッパ系植民者が、自分たちの農園を維持するために他者を奴隷として使っていたのです。この矛盾は、独立革命の時代にも解決されませんでした。カロライナでは米が富を生んだ南部のカロライナでは、米の生産が重要でした。特にサウスカロライナでは、湿地を利用した米作が発達します。ここでも大量の労働力が必要となり、奴隷労働に依存するプランテーション経済が形成されました。

また、アフリカ出身者が持っていた農業技術や知識が、米作の発展に大きく貢献したと考えられています。しかし、その人々自身は自由な労働者ではありませんでした。北米植民地経済の成長の背後には、奴隷制度という深刻な人権問題が存在していたのです。

ニューイングランドは「海」で稼いだ

一方、ニューイングランドでは南部とは異なる経済が発展します。土地は南部ほど農業に適していません。そのため、漁業。造船。木材。海運。商業。などが発達しました。

ボストンなどの港町には船が集まり、大西洋を舞台に交易が行われました。ニューイングランドの商人たちは、イギリスだけでなくカリブ海や他の植民地とも交易しました。ラム酒、糖蜜、魚、木材など、さまざまな商品が海を行き来します。この経験が、後のアメリカ人に「海を越えて商売する」という感覚を育てていきました。

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