日本史と世界史で読み解く 北米建国物語 第6回 吉宗の改革と十三植民地の発展(1)

十三夜の月のイラスト

― 江戸の財政再建と、大西洋を渡って成長する北米 ―

18世紀に入ると、日本と北米はそれぞれ大きな変化を迎えます。

日本では、江戸幕府が成立してから100年以上が経過し、徳川政権は安定していました。しかし、その一方で幕府の財政は次第に苦しくなっていました。そこで登場したのが、8代将軍・徳川吉宗です。1716年、吉宗は将軍となり、「享保の改革」を進めます。

一方、北米では、イギリス領十三植民地の人口が増加し、農業や商業が発展していました。

バージニアではタバコ、カロライナでは米、ニューイングランドでは漁業や造船、ペンシルベニアでは穀物など、それぞれの地域が特色ある経済を形成していきます。

日本では「既存の社会をどう維持するか」が大きな課題となり、北米では「新しい社会をどう拡大するか」が大きな課題となっていました。

この違いを理解すると、後のアメリカ独立革命がなぜ起こったのかも、より分かりやすくなります。

徳川吉宗が将軍になった頃

1716年、徳川吉宗が8代将軍となりました。吉宗は紀州藩主でした。紀州藩の財政を立て直した経験を持っていた吉宗は、幕府の財政危機を深刻に受け止めていました。江戸幕府は、全国の大名を統制し、巨大な政治機構を維持していました。しかし、幕府の収入の基本は米です。

年貢として納められた米を売却して、幕府の財政を支えます。ところが、江戸時代が長く続くと、さまざまな問題が出てきます。農民に貨幣経済が浸透し、商品作物の生産が増えます。商人が力を持つようになります。都市では現金を必要とする生活が広がります。

一方、幕府は依然として「米」を中心とした財政構造を持っていました。

この「米中心の政治」と「貨幣中心の経済」のずれが、幕府財政を苦しめていきます。

享保の改革

吉宗はさまざまな改革を行いました。その一つが「上米の制」です。大名から米を納めさせる代わりに、参勤交代の江戸滞在期間を短縮するという政策でした。

また、新田開発を奨励し、米の生産量を増やそうとしました。さらに「公事方御定書」を制定し、裁判や司法の基準を整えました。庶民の意見を聞くために「目安箱」を設置したことも有名です。吉宗は、幕府の財政を立て直すだけではなく、政治そのものを合理化しようとした将軍だったのです。

「米を増やす」だけでは解決しない

しかし、江戸時代の経済はすでに大きく変化していました。米だけが経済ではありません。木綿。菜種。酒。醤油。油。紙。織物。こうした商品が大量に生産され、全国を移動します。農民も、自分たちが食べる米だけではなく、売るための商品作物を作るようになりました。商人は大量の商品を扱い、金融業も発達します。大阪には全国から米が集まり、米の価格を決める市場が形成されました。こうして江戸時代の日本は、「農業社会」でありながら「商品経済社会」でもあるという複雑な経済構造を持つようになっていました。

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