日本史と世界史で読み解く 北米建国物語 第7回(2) 田沼時代、日本は商業、北米は自治へ

十三夜の月のイラスト

― 田沼意次とベンジャミン・フランクリンの時代 ―

・フランクリンは「一つのアメリカ」を考えていた

18世紀半ばまで、十三植民地はそれぞれ別々の社会でした。バージニアとマサチューセッツでは文化が違います。ペンシルベニアとサウスカロライナでは経済も違います。宗教も違います。それでも、フランクリンは植民地間の協力を進めようとしました。

1754年には、アルバニー会議で植民地統合案を提案します。これは実現しませんでしたが、「植民地が協力して共通の問題に対応する」という発想は、その後のアメリカ独立につながっていきます。フランクリンは新聞や印刷物を通じて、人々に情報を伝えました。

ここで、前回のテーマだった「出版文化」が政治と結びついてきます。

・田沼時代の日本にも「情報革命」が起きていた

興味深いことに、18世紀の日本でも情報流通は大きく発展していました。江戸や大阪、京都では出版業が盛んになり、さまざまな本が流通しました。瓦版や読本なども広く読まれます。

商人たちは手紙や帳簿を使って全国規模で商売を行いました。飛脚制度によって情報も運ばれます。つまり、日本も「情報社会」へ向かっていました。

しかし、情報が政治的な意思決定へ結びつく仕組みには違いがありました。江戸幕府では、政治的な最終決定権は将軍と幕府にありました。

一方、北米の植民地では、植民地議会が税や法律などについて議論する経験が積み重なっていました。同じように商業と情報が発達しても、それが政治制度と結びつく方法は違っていたのです。

・「自治」の経験が北米を変えた

十三植民地の歴史を理解する上で非常に重要なのが、植民地議会です。バージニアでは1619年、植民地議会の前身となる「ハウス・オブ・バージェセス」が設けられました。その後、各植民地で議会が発達していきます。植民地の人々は、

「税金はいくらにするのか」

「道路をどう整備するのか」

「地域の法律をどうするのか」

といった問題について、自分たちで議論する経験を積みました。もちろん、すべての住民が政治に参加できたわけではありません。女性、奴隷、先住民族、多くの貧しい人々には政治参加の権利がありませんでした。したがって、当時の自治は現代の民主主義とは大きく異なります。それでも、ヨーロッパから遠く離れた場所で、植民地住民自身が政治を運営する経験が蓄積されていたことは重要です。

・そこへイギリスが「税」を求める

1754年に始まったフレンチ・インディアン戦争は、1763年に終結しました。

イギリスはフランスに勝利し、北米で大きな領土を獲得します。しかし、その勝利には莫大な費用がかかりました。イギリス政府は考えます。

「北米植民地を守るために戦ったのだから、その費用を植民地にも負担してもらおう」

ここから大きな問題が始まりました。

1765年、イギリス議会は印紙法を制定します。新聞や契約書などに課税する法律です

植民地住民は激しく反発しました。そして、「代表なくして課税なし」というスローガンが広がります。

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