日本史と世界史で読み解く 北米建国物語 第7回(1) 田沼時代、日本は商業、北米は自治へ

― 田沼意次とベンジャミン・フランクリンの時代 ―
18世紀後半、日本と北米では、それぞれ新しい時代の扉が開き始めていました。
日本では、8代将軍徳川吉宗の享保の改革を経て、田沼意次が政治の中心へ進出します。田沼は、それまでの幕府政治とは少し異なる発想を持っていました。農業だけでなく商業や流通を重視し、経済活動を活発にすることで幕府の財政を立て直そうとしたのです。
一方、北米の十三植民地では、商業が発展し、人口が増え、植民地議会による自治の経験が積み重なっていました。そして、イギリス本国から新しい税や規制が課されると、「自分たちのことは自分たちで決めたい」という声が次第に強くなります。
日本では「経済をどう活性化するか」が大きな問題となり、北米では「政治を誰が決めるのか」が大きな問題となっていたのです。この二つの動きが交差するのが、1770年代です。
・田沼意次が登場した時代
田沼意次が政治の舞台で大きな力を持つようになったのは、18世紀後半のことです。田沼は、吉宗の改革とは異なる政策を進めました。吉宗は倹約、新田開発、年貢の確保など、農業を基盤とする幕府財政の立て直しを重視しました。これに対して田沼は、「商業が発展すれば、そこからも幕府の収入を得られる」と考えました。そこで商人の組織である株仲間を公認し、営業上の特権を与える代わりに、幕府が運上金・冥加金などの収入を得る仕組みを整えました。また、長崎貿易の拡大、鉱山開発、印旛沼・手賀沼の干拓など、さまざまな経済政策を進めています。田沼時代は、単なる「賄賂政治」の時代として語られることがあります。
しかし、近年の歴史研究では、田沼の政策をもっと広い視点から評価する必要があると考えられています。彼は、江戸時代の経済がすでに「米だけでは動かない社会」になっていたことを理解していた政治家の一人だったのです。
・江戸では商人が力を持っていた
18世紀の江戸・大阪では、商人の活動がますます活発になっていました。大阪には全国から米が集まり、「天下の台所」と呼ばれるほどの巨大な市場が形成されていました。江戸には全国の大名や武士が集まり、巨大な消費市場が成立しています。京都では伝統的な工芸や文化が発達しました。三井家などの豪商は、金融や流通で大きな力を持つようになります。こうした社会では、単純に「身分が高い人ほど金持ち」とは限りません。商人は身分制度の上では武士より低い位置に置かれていました。しかし、経済的には非常に大きな力を持っていました。ここに江戸社会の面白さがあります。政治的な身分と経済的な力が一致していなかったのです。
この構造は、幕末の社会変化を考える上でも重要になります。
・同じ頃、北米ではベンジャミン・フランクリンが活躍していた
田沼意次とほぼ同じ時代に、北米で活躍していた人物がいます。ベンジャミン・フランクリンです。フランクリンは1706年、ボストンで生まれました。新聞出版者として成功し、科学者、発明家、政治家、外交官としても活動します。避雷針の研究で知られ、電気に関する実験を行った人物としても有名です。しかし、アメリカ史におけるフランクリンの最大の功績は、科学者としてだけではありません。彼は、「植民地の人々が自分たちの社会を自分たちで運営する」という考え方を強く持っていました。
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