日本史と世界史で読み解く 北米建国物語 第9回(1) ワシントンと松平定信

十三夜の月のイラスト

― 初代大統領と寛政の改革者、二つの「国家像」 ―

18世紀末、日本とアメリカは大きく異なる政治体制を持っていました。

アメリカ合衆国では、独立戦争を経て新しい共和国が誕生しました。1787年には合衆国憲法が制定され、1789年にはジョージ・ワシントンが初代大統領に就任します。

一方、日本では江戸幕府が続いていました。

1787年、松平定信が老中首座となり、寛政の改革を始めます。つまり1789年という同じ年に、アメリカでは新しい共和国の政治が始まり、日本では江戸幕府の政治を立て直す改革が進んでいたのです。

この二人、ワシントンと松平定信を比較すると、「近代国家とは何か」という問題が見えてきます。さらに興味深いのは、両者がともに「政治を安定させること」を重要視していた点です。革命を成功させたワシントンも、実は革命を永遠に続けようとした人物ではありませんでした。むしろ、革命後の社会を安定させることこそ、彼の最大の課題だったのです。

・ワシントンはなぜ王にならなかったのか

ジョージ・ワシントンは、アメリカ独立戦争の総司令官でした。イギリスという大国と戦い、植民地軍を率いて勝利した人物です。普通に考えれば、戦争の英雄がそのまま強大な権力を握ることもあり得ます。しかし、ワシントンはそうしませんでした。

1783年、独立戦争が終わると、ワシントンは軍の最高司令官の地位を退きました。メリーランド州アナポリスで大陸会議に辞意を表明し、故郷のマウント・バーノンへ戻ります。この行動は、ヨーロッパでも大きな驚きをもって受け止められました。なぜなら、革命を成功させた軍事指導者が自ら権力を手放したからです。後にイギリスの政治家エドマンド・バークは、ワシントンの行動を高く評価しました。「王にならない英雄」ワシントンが権力を手放したことには、象徴的な意味がありました。アメリカはイギリス国王の支配から独立した国です。そのため、独立した後に新しい「王」を作ってしまえば、革命の意味が失われてしまいます。アメリカが目指したのは、「人ではなく、憲法と法律が国家を統治する社会」でした。ワシントン自身もその考え方を支持しました。

1787年の憲法制定後、ワシントンは初代大統領に選ばれます。1789年4月30日、ニューヨークで就任宣誓を行いました。ここからアメリカ合衆国の大統領制が始まります。

・将軍と大統領は何が違うのか

ここで日本の「将軍」と比較してみましょう。徳川将軍は、世襲される政治的地位でした。

徳川家康。秀忠。家光。家綱。綱吉。そして吉宗。将軍職は基本的に徳川家によって継承されました。

一方、大統領は世襲ではありません。選挙を通じて選ばれ、任期があります。つまり、

将軍=家によって継承される政治的地位

大統領=一定の手続きを通じて選ばれる政治的地位

という違いがあります。

もっとも、1789年のアメリカが現代の民主主義国家と同じだったわけではありません。選挙権は限定されていましたし、奴隷や女性、先住民族などは政治的権利から排除されていました。それでも、「国家の最高指導者を世襲しない」という仕組みは、当時としては非常に大きな変化でした。

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