日本史と世界史で読み解く 北米建国物語 第8回(4) アメリカ独立 日本は田沼から寛政へ

― 独立宣言と寛政の改革、二つの社会が「政治の立て直し」に向き合った時代 ―
18世紀末、日本とアメリカはそれぞれ違う道を歩んでいました。アメリカでは、独立→憲法→共和国→領土拡大という道が始まりました。
日本では、寛政の改革→文化・経済の成熟→幕府体制の維持→外国勢力との接触という道が続きます。
そして19世紀に入り、両者の運命が交差します。
アメリカは太平洋へ進出し、日本は外国船の接近に対応しなければならなくなります。その最初の大きな接点が、ペリー来航です。
ペリー来航は幕末の大事件として、誰もが知っていますが、「鎖国の日本に開国を迫った」として、学校では習います。ではなんのための開国なのかは説明されません。実際、当時の幕府はわかっていませんでした。ペリーは太平洋を渡ってやってきて、帰路のための薪と食料と水を求めていました。当時の蒸気船にとって、これらは必需品で現地調達するしかありませんでした。とくに領土的野心があったわけではありません。
背景には産業革命による蒸気機関の発明がありましたが、鎖国中の幕府は蒸気機関を知らず、ペリーの目的を知りませんでした。そしてペリーの側は穏健な貿易は意図しておらず、たんに「現地調達」しか念頭になかったので、北米先住民にしたように、武力で調達することしか念頭になかったわけです。そして食料として、肉を要求されても、肉食習慣のない当時の日本は提供のしようがなかったわけです。それで野蛮人と思ったことでしょう。
武力で脅迫されたら、武力で押し返せ、という強硬派がでてくることも自然な流れです。それが「攘夷論」です。ある意味、この日米交渉は、相互の理解不足と異文化が背景にありました。
捕鯨についても、日本は「魚」として食用にしていましたが、アメリカは機械の潤滑油としての利用しか念頭にありませんでした。蒸気機関などの機械の潤滑油として、鉱物である石油よりは、融点の低い動物油が適しています。それでまず大西洋、ついで太平洋の鯨を採りまくり、それが鯨類の絶滅危機を招いたことは隠匿されています。
そして、スピンドル油が発明されたことで、鯨油のニードが減り、捕鯨も減っていきました。こうした捕鯨の歴史はアメリカの漁業書物館などには展示されていますが、日本では知られていません。捕鯨禁止を標榜する運動団体には不都合な黒歴史です。
次回予告
第9回では、「ワシントンと松平定信」― 初代大統領と寛政の改革者、二つの「国家像」 ―
をテーマにします。
ワシントンは、王にならずに大統領を辞めた人物として、アメリカの政治文化に大きな伝統を残しました。
一方、松平定信は、徳川幕府という既存の政治秩序を守りながら、その内部から改革を行おうとしました。
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