日本史と世界史で読み解く 北米建国物語 第11回(1) 黒船から明治維新へ、そして南北戦争

― 日本が幕府を倒した頃、アメリカでは何が起きていたのか ―
1853年、アメリカ海軍のマシュー・ペリーが浦賀に来航しました。
日本にとって、この出来事は江戸時代の終わりを告げる大きな転換点となります。
しかし、ペリーが日本へやって来た頃、アメリカもまた、国内に深刻な問題を抱えていました。それは「奴隷制度」です。
アメリカでは独立以来、「すべての人は平等である」という理念が掲げられていました。しかし、南部を中心に多くのアフリカ系の人々が奴隷として扱われていました。
1853年の日本とアメリカ。
日本では「外国とどう向き合うのか」が問題になり、アメリカでは「奴隷制度をどうするのか」が問題になっていました。そして両国は、わずか15年ほどの間に大きな政治変革を経験します。日本では1868年に明治維新が始まり、アメリカでは1861年から南北戦争が起こります。同じ時代に、日本は「幕府を倒して新しい国家」を作り、アメリカは「国家を分裂させないために戦う」ことになったのです。
ペリー来航後、日本は一気に動き始める
1853年、ペリーは大統領の国書を幕府に渡し、翌年再び来航すると告げて日本を離れました。幕府は大きな問題に直面します。外国の要求を拒否すれば、戦争になる可能性があります。
しかし、要求を受け入れれば、「外国に屈した」と国内から批判される可能性があります。幕府は最終的に開国へ向かいます。
1854年、日米和親条約が結ばれました。下田と箱館を開港し、アメリカ船への補給を認めます。
そして1858年には、日米修好通商条約が結ばれます。この条約によって、横浜、長崎、新潟、兵庫などが開港され、外国との貿易が本格化しました。しかし、この条約には日本側にとって不平等な条件も含まれていました。関税自主権がなく、外国人に領事裁判権を認める内容でした。これが幕府への批判をさらに強めます。
「尊王攘夷」という新しい政治運動
外国との条約に反対する人々の間では、「尊王攘夷」という考え方が広がります。天皇を尊び、外国勢力を追い払おうという思想です。しかし、現実には外国勢力との軍事力の差は大きなものでした。
1863年、長州藩は関門海峡を通過する外国船を砲撃します。 これに対して、アメリカ、イギリス、フランス、オランダの艦隊が報復攻撃を行いました。これが下関戦争です。長州藩は外国の軍事力を直接体験し、「単純に外国を追い払うだけでは日本を守れない」ことを理解していきます。ここから、攘夷論の一部は「外国の技術を取り入れて日本を強くする」という方向へ変化していきます。
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