日本史と世界史で読み解く 日米物語 第13回(2) 日本とアメリカ、太平洋で出会う

十三夜の月のイラスト

― ハワイ、移民、日清・日露戦争、そして20世紀へ ―

・ハワイ王国がなくなる

ところが、ハワイでは政治的な緊張が高まっていきます。アメリカ系の有力者たちは、ハワイ王国の政治・経済に大きな影響力を持つようになりました。

1893年、リリウオカラニ女王が退位に追い込まれ、王国は事実上崩壊します。

その後、ハワイ共和国が成立。

そして1898年、アメリカ合衆国はハワイを併合しました。

こうしてハワイはアメリカ領となります。ハワイ併合は、アメリカが太平洋国家へ進む上で非常に重要な出来事でした。ハワイはアメリカ本土とアジアを結ぶ中継地点となります。そして後に、真珠湾がアメリカ太平洋艦隊の重要な基地となっていきます。

・日本にとってもハワイは重要だった

ハワイには多くの日本人が暮らしていました。そのため、日本にとってハワイは単なる外国ではありません。日本人移民の生活の場であり、日本との人的なつながりが強い地域でした。日本から見ると、ハワイは太平洋の向こう側にある「日本人の新しい生活圏」でもあったのです。

しかし、アメリカがハワイを併合したことで、ハワイは正式にアメリカの領土になります。これによって、日本とアメリカの太平洋での接点はさらに増えていきました。

・日本人はアメリカ本土へ

ハワイだけでなく、日本人はアメリカ本土へも移住していきました。特にカリフォルニアなど西海岸には、日本人移民が多く集まります。農業に従事する人。鉄道関係の仕事をする人。ホテルや飲食業を営む人。商店を開く人。学生。さまざまな人々が新しい生活を始めました。サンフランシスコなどでは日本人街も形成されます。日本人移民は、アメリカ社会の中に少しずつ根を下ろしていきました。

・しかし「移民」は政治問題になった

日本人移民が増えると、アメリカでは反発も強くなります。特に西海岸では、「日本人が労働市場を奪っている」「日本人はアメリカ社会に同化しない」などの主張が広がりました。こうした排日運動は、単なる文化的な違いだけではありません。土地。労働。人種。経済競争。国際政治。さまざまな問題が重なっていました。

1906年、サンフランシスコでは、日本人・中国人の子どもたちを公立学校から分離する問題が起こります。日本政府は強く抗議しました。日米関係は一時、緊張します。

・「紳士協定」

こうした問題を背景に、1907~1908年、日本とアメリカの間で「日米紳士協定」が成立します。日本政府がアメリカへの労働移民のための旅券発給を制限し、アメリカ側は日本人児童の学校隔離問題を解決する方向へ進みました。これは正式な条約ではありませんでした。しかし、日米関係における移民問題の重要性を示す出来事でした。

2026年10月
月 火 水 木 金 土 日
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031  

コメントを残す