日本史と世界史で読み解く 日米物語 第13回(4) 日本とアメリカ、太平洋で出会う

十三夜の月のイラスト

― ハワイ、移民、日清・日露戦争、そして20世紀へ ―

・ルーズベルトと「大艦隊」

セオドア・ルーズベルトは海軍力を重視した大統領でした。

1907年、アメリカ海軍の戦艦16隻からなる大艦隊を世界一周に派遣します。艦隊の船体が白く塗られていたことから、「グレート・ホワイト・フリート」と呼ばれました。艦隊は太平洋を航行し、日本にも寄港します。

1908年、横浜港にはアメリカ艦隊が入港しました。日本では大歓迎を受けます。日露戦争後、日本とアメリカの関係が緊張する可能性がある中で、両国は友好関係を演出したのです。

・しかし「太平洋の覇権」という問題があった

ここで、日米関係の複雑さが見えてきます。表面的には友好関係です。日本人移民がアメリカで生活しています。アメリカ人も日本を訪れます。貿易も拡大しています。文化交流も始まっています。しかし、その一方で、「太平洋で誰が主導権を持つのか」という問題が徐々に浮上していました。アメリカはハワイを併合しました。フィリピンも獲得しました。日本は台湾を領有し、朝鮮半島への影響力を拡大しました。両国が太平洋と東アジアで近づくほど、利害関係も重なっていったのです。

・フィリピンをめぐるアメリカ

1898年、アメリカとスペインの間で米西戦争が起こります。その結果、アメリカはフィリピンをスペインから取得しました。これもアメリカの太平洋進出を大きく変えた出来事です。ハワイ。フィリピン。グアム。これらを結ぶと、アメリカは太平洋に巨大な拠点網を持つことになります。さらに中国市場へのアクセスも容易になります。こうしてアメリカは、「大西洋の国」から「大西洋と太平洋の両方に足場を持つ国」へ変化していきました。

・日本から見れば、アメリカは太平洋の隣国になった

日本とアメリカの距離そのものが縮まったわけではありません。しかし、政治的・経済的な距離は急速に近づきました。ハワイ。グアム。フィリピン。カリフォルニア。日本。太平洋の海上交通が発達するにつれて、これらの地域が一本のネットワークとして結びついていきます。

つまり、太平洋そのものが「一つの地域」になり始めたのです。

・日本人移民が作った「もう一つの日米関係」

この時代の日米関係を外交だけで説明すると、重要な部分を見落とします。実際には、多くの日本人がアメリカで暮らしていました。ハワイの農園。カリフォルニアの農場。サンフランシスコの商店。シアトル周辺。日本人街。学校。寺院。新聞社。日本人移民は、日米両国を結ぶ人の橋になっていました。政府同士の外交とは別に人間同士の交流が生まれていたのです。

・しかし、その橋には差別もあった

日本人移民が増えると、排日運動も強くなります。土地所有を制限する州法も現れました。カリフォルニア州では1913年、さらに1920年に外国人土地法が制定され、日本人など「市民権を取得できない外国人」の土地所有・借地を制限しました。

当時のアメリカでは、アジア系移民に対する人種差別が制度化されていきます。日本人から見れば、「欧米列強と対等な国家になったのに、アメリカでは日本人が差別されている」という矛盾です。この問題は、やがて日米関係に大きな影響を及ぼします。

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