日本史と世界史で読み解く 日米物語 第14回(6) 第一次世界大戦と日米関係

十三夜の月のイラスト

― 日本はなぜ「列強」になり、アメリカはなぜ世界の中心へ向かったのか ―

・ペリーからウィルソンまで

ここで、1853年から1919年までを振り返ってみましょう。

1853年。ペリーが浦賀へ来航。日本はアメリカから開国を迫られました。その後、日本は明治維新を経験します。そして近代国家を建設します。日清戦争。日露戦争。そして第一次世界大戦。1919年には、日本は世界五大国の一つとしてパリ講和会議に参加しました。

約66年。この間に日本の国際的な立場は劇的に変化しました。

・アメリカもまた変わった

アメリカも同じです。1853年には、「太平洋への進出を始めた新興国」でした。

1919年には、「世界最大級の経済力を持つ国際政治の中心国」になっています。13植民地から始まったアメリカは、独立。西部開拓。南北戦争。工業化。ハワイ併合。フィリピン獲得。第一次世界大戦。という歴史を経て、世界の中心へ近づいていきました。

・二つの国は、同じ道を歩んだわけではない

しかし、日本とアメリカの近代化を同じものとして考えてはいけません。

日本は、「欧米列強に追いつく」ことを大きな目標として近代化しました。

アメリカは、「自国の工業力と領土を拡大する」ことで世界的な大国になりました。

日本は比較的短期間で制度を改革しました。アメリカは独立以来の憲法制度を維持しながら、社会と領土を拡大していきました。それぞれ異なる道を歩んだ結果、20世紀初頭には同じ太平洋地域で向き合うことになったのです。

・そして次の舞台はワシントン

第一次世界大戦後、日米関係を考える上で重要な会議が開かれます。1921年から1922年にかけて、ワシントンで開催された「ワシントン会議」です。ここでは、海軍軍縮。中国問題。太平洋の安全保障。などが議論されました。日本、アメリカ、イギリス、フランスなどが参加します。この議題、今日も同じような内容で話し合われています。

この会議は、太平洋地域の国際秩序を再構築する重要な出来事となりました。しかし、そこには日本とアメリカの利害対立もはっきりと表れていました。

そして、このワシントン会議から約10年後、満州事変が起こります。

さらに約20年後、真珠湾攻撃へと至ります。正に、日米関係の分岐点となりました。

そして太平洋戦争の終了後、日米は再び接近していきます。そして日本と欧州との関係も明治維新の時代の関係に戻ります。もっとも、日本側は戦争中の対英、対仏、対蘭戦争により、相手国民感情は変化したのに対し、日本側はそのことを忘れたかのような意識になっていて、実際には明治時代とは違う関係になっていたことには気づいていません。

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