禅寺丸
禅寺丸(ぜんじまる)と聞いてすぐわかる方は相当な柿好きです。10月21日は禅寺丸柿の記念日です。2012年川崎市麻生(あさお)区で区制30周年を迎えたことを記念して「禅寺丸柿サミット」が行なわれ、麻生区の「区の木」として「禅寺丸柿(ぜんじまるがき)」が制定されたことにちなみます。きわめてローカルな記念日です。
禅寺丸柿は約800年前の鎌倉時代前期に麻生区の王禅寺で発見された日本最古の甘柿で、それまでの日本の柿は全部渋柿でした。明治時代、神奈川県には禅寺丸柿に由来する「柿が生まれた村」ということで柿生村(かきおむら)がありました。1939年に川崎市に編入され柿生村はなくなりましたが、駅名として柿生駅は残っています。
禅寺丸柿は明治42年(1909)に明治天皇にも献上され、2007年(平成19年)には文化財保護法に基づき登録記念物として登録され保護措置がとられています。
禅寺丸柿は全体的に丸みを帯びており、小ぶりで果肉には木目状の斑点があります。小ぶりの割りに種が大きく、果肉部分が少ないので、現在のような甘くて種無しの柿の正反対です。元弘3年(1333)、王禅寺は新田義貞の鎌倉攻めの兵火で焼失し、朝廷の命で再建にあたった等海上人が、応安3年(1370)に偶然、柿の熟しているのを見つけ、あまりにも美味であったため、持ち帰り、村人に接木をして栽培させるとともに、近隣にも栽培を広めたとされています。禅寺丸柿は明治時代末から昭和時代初期が最盛期で、大正10年(1921)には938トンが生産されたそうですが、新品種の富有などが市場に出回ると、新品種の方が甘みがあり、種も少なく実が大きいのでから、昭和40年代の後半ごろから市場から姿を消してしまいました。柿の品種改良は今でも続いていて、ほぼ毎年新品種が出てきます。保存運動の一環として、平成9年には山梨県のワイナリーに委託して「禅寺丸柿ワイン」を発売したり、柿生地区の和洋菓子店で「禅寺丸の柿ワインケーキ」や「柿っ娘」などの「柿生禅寺丸柿」を用いた菓子が発売されるようになったそうです。今では希少になった古品種の柿を食べて懐古するのもいいかもしれません。柿の木は東アジア原産で日本や韓国、中国に多くの在来品種があり、人々は、元々は木になったまま自然に完熟し渋みが抜け甘くなったものを食べていたと想像されますが、人間が食べる前に野生の動物や鳥に多くが食べられていました。自然に熟した柿は食べられる時期も短く、熟し過ぎて腐敗することもありました。等海上人は幸運だったのです。そこで干し柿という技法ができたのですが、干し柿の存在が確認できるのは平安時代の『延喜式』に祭礼用の菓子として記載されているそうです。古くは枝ごと天日乾燥する原始的なもので、串に刺した串柿は明治以後で、現在はヘタを紐で結んでぶら下げるのが一般です。
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