付和雷同
マスクの着用について、同調圧力という表現がしばしば使われました。この表現には従わざるをえない、という強い力がありますが、実際はそれほど強い状況ではなく、周囲の雰囲気に合わせて着用している人が多いのだと思います。こういう周囲の状況に合わせて、他人の意思に合わせるという意味では付和雷同というのが合っているのではないでしょうか。付和雷同は四文字熟語ですが、文字からでは意味がわかりにくいせいか、最近はあまり見かけなくなりました。語源としては付とは相手の側に付くこと、和は相手に合わせる、という意味です。雷同の雷はカミナリで、雷が鳴ると周囲の物も同じように鳴るということから、ある人の意見に同調するという意味です。語源辞典によると「礼記(らいき)」という中国古代の書物にあるということですが、詳しく調べると礼記には雷同しか載っていないようで、意味は訳もなく同調することはいけない、という戒めだそうです。付和は附和と書くのが本来です。
このように自分の意見はなく、訳もなく多数派に同調することはよくないという意味の付和雷同ですが、多数決が民主主義の基本という主張が強くなってきて、会議でも付和雷同の人が増え、とくに政治家にその傾向が強くみられるようになってきました。政治的に見ればこれはポピュリズムです。一方で少数派が声高に主張することも増えてきました。その大きな声に流されるような傾向もあります。これも付和雷同です。
マスク着用について、個人の判断に任せる、というような政府の方針が示されましたが、法律でもなく、罰則もないのですから、個人が判断することは当たり前のことです。わざわざ方針として出すのはいわゆる「上から目線」といわれても仕方がないでしょう。それでもマスクを着用するのは付和雷同ではなく、自分の意思であり、マスクをしないのも自分の意思ということになります。付和雷同ばかりの政治家が個人に任せるという方針を出した途端、各自の判断になるのは何とも皮肉な現象です。
日本人に付和雷同する傾向が強いのは、その前に「空気を読む」という独特の文化があります。目に見えない、耳に聞こえない、匂いもしない、空気を読むのは勘でしかありません。空気を読む力は勘が鋭いか鈍いかという違いになります。日本人の多くは周囲の人の意思を推量する勘が鋭いということもいえます。付和雷同というのは否定的なニュアンスがありますが、勘が鋭いというのはポジティブな意味になります。日本人が同じ行動をとるのは付和雷同ではなく、周囲を推量して同一行動をとるからであり、チームワークと同じ性質の行動です。政治家の付和雷同とは意味が違います。
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