意訳のむずかしさ


翻訳

意訳というのは、原文をよく理解し、それを翻訳目標言語でわかりやすく書くことです。中には原著の内容を換骨奪胎して、アイデアだけを取り入れる翻案というのもあります。推理小説などではよくある手法です。翻案となると、オリジナルとの区別が困難なものもあり、翻訳の範疇には入らないという判断が普通です。

意訳するには、原文に対する理解力だけでなく、目標言語の能力が問われます。英訳でいえば、英語能力は当然として、日本語能力も高いものが求められます。とてもわかりやすくなる、という利点がある反面、原文のもつ情報の一部が欠落することがよくあります。正確性という点では下がるという欠点は避けられません。また当然、翻訳者の能力が反映されるため、「上手い訳」と「下手な訳」の差がでます。ただよく誤解されるのが、意訳=上手い訳、直訳=下手な訳、という判定があることです。昔、学校の英文解釈の問題で、模範解答と生徒の訳の巧拙がいわれたことがあると思います。生徒は辞書を頼りに直訳的な訳文を作るので、当然、日本語としてわかりにくい文になります。実際の採点では、日本語の上手下手はほぼ採点外で、原文の単語、とくにキーワードである語が正しく訳されていたか、構文は正しく理解されているか、とくに代名詞が意味する語が理解されているか、などが採点されます。語の訳が正しいというのは辞書通りであるか、ということです。結果として解答された訳文は日本語としてぎこちない文になっても、そこが採点されることはまずありません。ある意味機械的な採点方法です。この採点方法の利点は誰が採点しても差があまりつきません。意訳を取り入れるとなると、採点者の主観、好みが入るため、いわゆる公平性に問題がある、と考えられています。この採点方法に教師も生徒も慣れてしまうので、直訳が正確な訳ということで、日本では広がってしまう結果となりました。

意訳はこういう学校英語とは正反対の評価方法になるので、作家のような文章のプロでないとできなくなります。そして科学論文は「正確性」を重視するという名目で、学校英語のような直訳が中心になります。海外の論文には文学性の高い格調のあるものも多いのですが、日本の論文はどうしても味気のない平板で読みにくいものになります。この傾向は日本人が英語で書いた論文にも影響があります。

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