ハシ



8月4日は語呂合わせで「ハシの日」だそうです。ハシといっても、箸、橋、端、土師、嘴、梯といろいろな同音異義語があります。ハシの日を設定しているのは、「箸の日」と「橋の日」の2つです。

実は「箸の日」にも2つあるそうで、8月4日は「1975年(昭和50年)、箸を正しく使おうという提唱がなされ、わりばし組合によって制定された日と、2015年に韓国で開催された「箸の国際学術シンポジウム」で日本・韓国・中国の専門家や学者が集まって「箸の世界遺産登録を目指して」制定したものだそうです。こちらは11月11日で、箸が並んでいる様子から、だそうです。多分に政治的なにおいがします。形から見れば箸は2本なので1月1日のはずですが、二人分にしているのはご都合主義的な感じがします。日本の箸の日には箸供養が行われ、そのままゴミにして捨てないという日本文化が背景にあります。記念日制定の目的もまったく違うのです。日本は精神文化、日中韓の場合は世界遺産登録という政治目的です。どちらを選ぶか、あるいは両方するか、は価値観次第です。

「橋の日」は1986年(昭和61年)、当時、橋梁(きょうりょう)会社に勤務していた湯浅利彦氏の提唱により、宮崎「橋の日」実行委員会が制定したのが起源だそうです。目的は「郷土のシンボルである河川と、そこに架かる橋を通して、ふるさとを愛する心と河川の浄化を図ること」だそうです(https://hashinohi.jp/katudou/mokuteki.html)。「心のかけ橋」を広げる運動もしているそうです。ローカルな運動ですが、こういう記念日は世界的にも珍しいと思います。世界中に橋はあるのですが、橋にまで精神性を求めるのは日本文化の特徴かもしれません。「橋と端」といえば一休さんの話が有名です。「桔梗屋(悪徳商人)が一休に出した問題の一つで、店の前の橋を一休さんが渡ろうとすると、「このはしわたるべからずと書いてある。しかし一休は、「この端(はし)渡るべからず」と切り返し、橋の真ん中を堂々と渡った。」という頓智話です。今なら、褒められるどころか、屁理屈として非難されそうです。この話には後日談があり、「真ん中も歩いては駄目」と難題を出されます。それに対しては「橋に乗らねばよいのだろう」と敷物を敷いてその上を歩いて渡ってきた。」ということです。現代ならこれはちょっと無理があります。「歩いていけないなら、走って渡る」が今風の正解でしょう。それだからか、この後日談はほとんど紹介されません。この話の元ネタは『一休咄』という江戸時代の読み物であり、民衆の願いを歴史上の人物に仮託した読み物です。大岡政談や水戸黄門なども同じタイプの読み物であり、歴史的な事実ではないものの、講談や落語、歌舞伎、草紙などで庶民に広がり、事実のように思っている人も多いです。今でもテレビドラマで「暴れん坊将軍」「水戸黄門」などを信じていたり、アニメの主人公の実在を信じたり、聖地巡りなどが流行るのは、当時の江戸庶民の精神構造と同じです。それは善悪や真偽の問題ではなく、社会心理であり、物理的実在ではなく心理的実在なので、非科学的として排除することは判断を誤ります。

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