礼儀と文化



海外旅行をしたり、国内のインバウンドの外国人に会うと、「失礼な人」あるいは「マナーが悪い」と感じることがよくあります。これは「日本人は礼儀正しい」とか「日本人のマナーがよい」という海外の評価の裏表です。無論、日本人全員がマナーがよいわけでもなく、外国人のすべてがマナーが悪い、ということではなく、全体的に見て、ということであり、それだけで断定するのはよくない、という意見もあります。確かに、たった一人の行動から、その人の所属する集団全体の文化だと断定することは正しくないのですが、かといって完全に個人的特徴だと断定することも不当です。一人の個人には個人的特徴もあれば、集団的文化の特徴の両方が混じりあっています。つまり個人がある集団の特徴を代表している、ということもいえるのです。それは複数の人に出会うことで、個人的特徴か代表的特徴かが凡そ判定できます。たとえば、ある文化の人に出会った時、その人々が大きな声で話すことを感じたとします。そういう人々が集団でいたり、ある時に別の集団に出会ったら、同じような経験をすれば、これは確信に変わります。こういう体験をした人が多くなれば、「〇〇人は声が大きい」、という社会的印象になっていきます。「日本人は礼儀正しい」という海外の印象はそうして形成されていった日本人評ですから、実際多くの人が礼儀正しく外国人に接してきた証拠ですし、多くの日本人は確かに礼儀正しいのだといえます。ここでいう「礼儀」とは何かを考察してきた社会学者は多いのですが、確定的な定義はできないでいます。英語ではpoliteと訳されることが多いのですが、「丁寧な」という意味もあり、「相手のことを思いやる」ことだという説明もなされています。日本人は日常的にお辞儀を頻繁にします。お辞儀をする姿勢は「礼」ということですが、外国人がこれだけで日本人が礼儀正しいと判断しているのではなく、丁寧さや相手を思いやる行動をとることが礼儀正しいpoliteだと評価しているといえます。たとえば、何かをしてもらえば、相手に感謝する、相手を誘導する場合、ついてこいとばかりに先に立つのではなく、「こちらへどうぞ」といった案内があること、など日本では当たり前にあることが、外国ではあまりないことがあります。手招きだけで呼びつける、要が終われば、もういいからあっちへ行けという仕草、ついてこい、という仕草など、接客業でも高級店でないかぎり、普通に見られます。いわゆる「お客様扱い」が一般店ではほとんどないことが普通です。そして、このお客様扱いの背景にはチップ文化があります。チップ目当ての行動ともいえ、文化的な礼儀正しさには該当しないように思われます。よくいわれるJudoの最初と最後の礼は儀式として理解されていますが、普段礼をする習慣のない文化の国の人は単なる挨拶として理解していることが多く、試合後に相手選手以外にも審判や道場に敬意を払う、ということまではしないのが普通です。審判はともかく場所に敬意を払う、という精神は理解しがたいことでしょう。甲子園球児が試合後に集団で挨拶する姿は外国人には意味がわからないでしょう。

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