八朔



本日は旧暦八月一日、別名八月朔日、いわゆる「はっさく」です。ハッサク、といえば、今ではみかんを連想する人が多いと思います。みかんのハッサクはなぜハッサクというかというと、その原産地は広島県の因島で、この島は村上水軍の根拠地の一つで、その城跡、青影山の南麓にあった浄土寺の第15世住職、小江恵徳上人(えとくじょうにん)の生家があり、その近くに生えた雑柑が「ハッサク」の原木であったことに由来しています。その小江恵徳上人が「八月朔日(八朔)の頃から食べられる」と話したことから命名されたたからと伝えられているそうです。かなり回り道をした由来ですが、この時期に食べられるという由来は別にして、実際にはまだこの時期の実は小さく食べられないようです。産地も現在は和歌山県や愛媛県や徳島県などが主流です。

本来、八朔はこの頃、早稲の穂が実るので、農民の間で初穂を恩人などに贈る風習が古くからあったことから、田の実節句(たのみのせっく)ともいい、昔は大切な行事でした。この「たのみ」を「頼み」にかけ、武家や公家の間でも、日頃お世話になっている(頼み合っている)人に、その恩を感謝する意味で贈り物をするようになったといわれています。いわば今のお中元と同じ意味の行事でした。お中元の方はそのいわれから、現在では主に7月に行われますが、本来はこの時期の行事です。今年は米不足がテレビなどで盛んに報道されていますが、早稲はもう出回っていますし、「頼みの米」は八朔には出てきますから、無用なパニックや騒動を収める意味でも、テレビの天気予報で八朔を紹介する時には、ぜひ早稲の話をしてほしいものです。八朔の行事は室町時代は公式行事で、当時の鎌倉府には関東の諸大名や寺社から刀剣や唐物、馬などが鎌倉公方に献上され、鎌倉公方からも献上者に対して御礼の品となる刀剣や唐物、馬などが下賜されていたという記録があります。かなり高価な品物が献上され、その返礼があったということですから、かなり重要な年中行事であったことが想像されます。きっと贈る側は毎年、何を献上しようか、費用も含めて、悩んだことだと思われます。唐物は輸入品ですから、出入り商人も儲け時だったと思われます。江戸時代になっても、徳川家康が天正18年8月1日に初めて公式に江戸城に入城したとされることから、江戸幕府はこの日を正月に次ぐ祝日としていたそうですから、八朔は武家社会を通じて重要な行事だったことが伺えます。明治時代に入ると、武家文化を徹底的に棄却しようとした政府は八朔も新暦に改変すると同時に9月1日に移してしまいました。これで八月朔日ではなくなってしまいました。一方で、民間では本来の八朔の行事である「たのみの実」に関する豊穣を祝う行事は残しており、田の神様に感謝する祭りは各地で今でも行われています。お世話になっている人への挨拶回りという風習は京都の祇園に残っています。日にちは明治政府方針に従って9月1日に移したものもあり、旧暦の8月1日のままにしているものに分かれています。政治が民間の行事や習慣まで変えるのは古今東西、無理なようです。

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