お盆と盆踊り



お盆に行うので盆踊り、というのは当たり前のことですが、案外単なる夏祭りだと思っている人が多いです。世界のどこにでも歌と踊りがあるのは共通ですが、日本の盆踊りには歴史があります。起源は鎌倉時代の踊り念仏だそうで、一遍上人が開祖である時宗(じしゅう)で広がったようで、今でも藤沢の遊行寺(箱根駅伝の途中に有名な坂があります)では全国から踊り念仏の人々が集まってきます。念仏とはナムアミダブツであり、他の念仏宗同じく、念仏を唱えて極楽浄土を願いつつ踊るわけです。一遍上人は全国を遊行(ゆぎょう)し念仏宗を普及されたので、各地に少ないながら時宗の寺もあり、今も念仏踊りが伝承されているそうです。
室町時代になって、庶民に広がった念仏踊りが盂蘭盆会の風習をつながり、それが盆踊りの始まりといわれています。当時流行った風流拍子物(ふりゅうはやしもの)という派手で華美な意匠と合体して、太鼓と唄に合わせる盆踊りのスタイルが流行っていきます。風流(ふうりゅう)というと何かロマンチックな響きがありますが、当時は侘び・寂び(わびさび)と対極の派手であったわけで、フリュウとフウリュウでは意味が変わったことにも注意が必要です。その意味では阿波踊りやソーラン、郡上踊りなどはその流れを今も残しているといえます。時代が下るにつれ、だんだん派手さが増していき、江戸時代には幕府が規制を始めるようになりました。一方で風流踊りの方は阿国歌舞伎や浄瑠璃に取り入れられて芸能へと発達していきました。元は太鼓だけだったものが、琉球三味線から発展した三味線が入ることで、一層派手になっていきます。現在の沖縄のエイサーも江戸初期に琉球に渡った僧が盆踊りを伝えたのが発祥とされています。江戸時代には現在の形に近いお盆の風習も固まってきて、祖先の迎え火と送り火、精霊流しのような行事も広がりました。また農村部では盆踊りの夜に若い男女が集まって結婚相手選びをするようになり、出会いの場となる風習は戦前まで残っていました。しかし明治時代になると風紀を乱すということから取り締まりが厳しくなりました。それでも産業革命と共に新たな盆踊りが作られ、有名な「炭坑節」が広がります。昭和になると、同じような音頭もたくさん作られ、東京音頭もその1つです。大阪の河内音頭は長い歴史があり、江戸時代あるいはそれ以前の土着の音頭・民謡、浄瑠璃、祭文といった庶民の芸能と仏教の声明が、長い時間をかけて混ざり合い、改良されて成立したとされています。そしてそれが盆踊りとして盂蘭盆会、地蔵盆の時期に盆踊り歌として歌われてきました。さらに近代になって鉄砲節として一世を風靡し、ギターやキーボードまで取り入れて浪花節あるいは浪曲として発展していきました。現代ではおわら風の盆や郡上盆踊り、各地のエイサーコンテストなど観光の側面が強調されることで復活してきたといえます。
盆踊りは英語でBon DanceといいLAの二世週間のメインイベントですが、bonにはbon fireのようなニュアンスがあるため、偶然ですが、盆踊りの賑やかさとマッチしたようで、戦前の米国では人気があったようです。歌と踊りは万国共通の楽しみなのです。

盆踊り

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