宗教と習慣
日常的な習慣の中に宗教が深く入りこんでいるのが普通です。おみくじやご朱印などはその典型ですが、本人は宗教であることをほぼ意識していないことが多いのです。宗教行事かどうかは購入した側には意味をもちませんが、売った側には大問題です。それは税金がかかるかどうか、だからです。よく知られているように宗教法人は無税とされていますが、それは宗教行事に限ってです。宗教法人といえども、利益事業を行って利益があれば課税されます。つまり法律の世界と一般習俗には乖離がある良い例です。
日本ではクリスマスがイエス・キリストの誕生日であることは知っていても、宗教行事は行いません。理由はキリスト教信者でないからです。クリスマスは家族でチキンを食べ、ケーキを食べる日で、プレゼントをもらうこともあります。幼稚園ではクリスマス・ソングを歌うこともありますが、お祈りはしません。お寺や神社の中にはクリスマスツリーの飾りをするところもあるくらいで、キリスト教信者でない日本人にとっては、年末の行事の1つであって、それ以上のことはないわけです。正月の初詣も除夜の鐘も習慣であって、宗教との関連を意識する人は少ないのですが、それでもお賽銭を上げてお願いする、というのはどういう感覚なのか、外国人から見ると不思議な習慣です。もっとも外国においても、教会に行ってお祈りすること、一日に決まった時間にお祈りすることは習慣化しており、ことさら宗教行事と思っていないこともあります。富士山に登って、頂上でご来迎を仰ぐのは、単なる自然観察なのか宗教的な行為なのか、微妙です。そもそも富士登山は、昔は信仰の行為でしたが、今では信仰の対象として登山する人は少なく、登山の1つと考えている人の方が多いでしょう。まして外国人は信仰の山とは思っていないと思われます。さらに微妙な問題は、葬式や結婚式は宗教行事なのかどうかです。最近は友前という形式も広がってきましたが、従来は神式か仏式かの選択があり、葬式は仏式、結婚式は神式というごちゃまぜが普通でした。このごちゃまぜは日本の宗教の特徴でもあり、寺の中に神社があったりすることも多く、本地垂迹説という仏教と神道の融合は昔に浸透したことに起源があります。仏教とヒンドゥ教の融合もあります。宗教が融合すること自体は日本だけの特徴ではなく、たとえば南米では土着の宗教とスペイン人支配下でカトリックが浸透した結果、融合したり、アフリカでも土着の宗教とキリスト教が融合した例もあります。宗教は生活と密着していて、習慣化する一方で、意外に他宗との融合もあります。そして宗教は民族とも深い関係性があり、社会学的には言語、文化、宗教、民族が深く関連していることが指摘されています。当然ながら、宗教に対して敬虔な信者もいれば、信仰が緩い人もいますし、民族的に宗派が決まっていて、緩い宗派と厳しい宗派に分かれています。それが選挙の投票行動に結びついていることも多く、他民族国家では、激しい主導権争いになることもしばしばです。アメリカ大統領選はその典型といえます。宗教的価値観で政策が変わります。
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