白露



葉月十三日は二十四節気の白露です。風情のある表現ですね。処暑が過ぎて大気が冷えてきて、露ができ始めるころで、「陰気やうやく重りて、露にごりて白色となれば也」と説明されています。白露の期間は次のように分類されています。
初候;草露白(そうろ しろし) : 草に降りた露が白く光る。
次候;鶺鴒鳴(せきれい なく) : 鶺鴒が鳴き始める(日本)
末候:玄鳥去(げんちょう さる) : 燕が南へ帰って行く(日本)
セキレイの漢字も普段見ることは少ないですし、燕のことを玄鳥というのも勉強になります。
若い人だけでなく年寄りも漢字の知識が薄くなりました。聞くところによると漢字の知識は社会階級差と比例するそうで、家庭に経済的余裕のない家庭の子供は漢字能力が低く、そのため語彙力も低いため、社会に出ても良い職業につけない、という負のスパイラルにつながるとか。全員がそうではないと思いますが、親の教養が子供に影響するだろうことは容易に想像できます。親が普段から読書をしていて、子供にも本をふんだんに与える家庭と親がパチンコやカラオケばかりで子供はゲームに夢中の家庭では国語力に差が出るのは当然です。読書が高尚な趣味でパチンコやカラオケが低俗といってるのではありません。日常生活で国語を学習する環境が問題なのです。普段の会話にしても読書などをしている親の話題とパチンコばかりしている親の話題は当然違います。無論、親の趣味とはまったく別の趣味をもつ子供もいて、親は本を読まなくても本好きの子供もいますから、必ずそうなるとはいえないのは当然ですが、確率的には成立しそうな話です。実際に調査した教育学者もいて数多くの論文がでています。頭の良い子について世間では親からの遺伝のように思う人が多いですが、現実には家庭環境の方が強く影響することが知られています。無論、確率論であり例外は多く存在します。言語獲得についていえば、遺伝的な学習能力の割合は非常に低く、学習環境によって獲得するという説が定説になっています。日本語環境で育てば日本語話者に、英語環境で育てば英語話者になる、という当たり前の現象はこの説を裏付けます。言語が遺伝するならば日本人の子供が外国で外国人に育てられても日本語話者になるはずですが、実際にそういう例はありません。これは母語の話ですが、社会言語の獲得も同じ学習過程を通ると考えるのが常識的です。旧暦の話など昔は日常的に使われてきたので多くの人の常識になっていました。しかし現在は日常的な話題ではないので、旧暦の知識や漢字などが日本人の脳から失われていったのも当然のことなのですが、それだからこそ、せめて文字を通じて遺産として後世に残しておく必要があると思います。

白露

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