黄巾の乱


コラム挿絵:張角のイラスト

中平元年三月五日、西暦にすると184年4月2日、古代中国において「黄巾の乱」が起こりました。黄巾の乱とは、太平道の信者が教祖の張角を指導者として起こした組織的な農民反乱です。目印として黄巾と呼ばれる黄色い頭巾を頭に巻いたことからこの名がついたとされています。小説『三国志演義』では反乱軍を黄巾賊と呼んでいます。陰陽五行説では黄色は「土」を表しています。この反乱は後漢の衰退を招き、劉備の蜀、曹操の魏、孫権の呉が鼎立した三国時代に移る一つの契機となりました。太平道というのは、後漢末の華北一帯で民衆に信仰された道教の一派です。黄巾の乱の首謀者張角の死によって消滅したそうです。時代背景として、後漢後期になると国政の混乱に伴って人災・天災が頻発し、また羌族(きょうぞく)の侵入が相次いだため、民衆の疲弊は極度に高まっていました。羌族とは、中国西部に住んでいる部族で現代ではチャン族と呼ばれる少数民族です。後漢当時は、豪族による土地兼併つまり併合も進み、多くの農民が小作人・奴隷・流民に転落し、村落共同体の破壊が進んでいました。新たな生活基盤や信仰の拠り所を求める彼らの受け入れ先として、太平道は信徒を増やしていった、という歴史です。「今の中国共産党は一枚岩ではなく、習近平の綱紀粛正の名目で粛清された不平分子の共産党員の多数の者たちが声を潜めて反逆ののろしが上げられるのを待っている。この静けさが不気味なのである。先日の中国前首相・李克強の「若すぎる」急死は暗殺が疑われている。巷では色々噂されている。中国の「黄巾の乱」は宗教指導者によるものであるが、中国には中国共産党による宗教弾圧による、宗教的な反乱は多数内在している。法輪功学習者への弾圧(生体臓器移植)、チベット仏教への弾圧と地名の変更、ウイグル人とイスラム教への弾圧(強制収容所)などがある。どのような形で反旗を翻すか。そして、中国で反乱の要因になるのが歴史的には軍閥である。そして、軍戦区は5戦区がある。今最高幹部が粛清されている内情からこの中からクーデターが起きても不思議ではない。」(https://note.com/tsukasa0415/n/n4f3f3dbb330e)という意見に賛同する人も多いようです。現代中国は経済不況だけでなく、天変地異も多く、失業率が急拡大して、国民は相当疲弊しています。宗教弾圧と他民族弾圧も激しいため、不満を持つ人々が多いのですから、いつ反乱が起きるのかわかりません。日本では台湾有事ばかりが報道されますが、内部の混乱の方が先かもしれません。歴史上は黄巾の乱の後は三国に分かれて闘争する三国志の世界になりますが、現代ではどうなるのか、予想はむずかしいです。三国志のような戦国時代は、日本でも同じように歴史時代劇としてはおもしろいのですが、庶民は戦渦で苦労します。世界情勢を見ると、あちこちで分断が起きており、中国の分断もあながち絵空事ではないかもしれません。今の日本は中国を一括りで考えていますが、実際には地域差も大きく、それは料理を見てもわかります。近代では義和団の乱もありましたし、そうした土壌があるのが中国です。

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