山田検校


コラム挿絵:筝のイラスト

文化14年(1817)4月10日(旧暦)は山田検校の命日です。江戸時代中期から後期にかけて活躍した筝曲家で、筝曲山田流の祖です。NHK大河ドラマ「べらぼう」では鳥山検校という金貸しが登場し、検校というと金貸しというイメージになってしまいそうですが、実際は筝(こと)などの音曲の総帥として有名な人が多いです。

山田検校は鳥山検校より少し後の人です。ウイキペディアによれば「尾張藩に仕えた宝生流能楽師の三田了任の子として江戸に生まれる。若くして失明し、長谷富検校の門人であった医師の山田松黒より筝曲を学んだ。当時は江戸浄瑠璃が盛んであり、この劇に三味線音楽を取り入れた事によって一躍有名となった。これによって、1797年(寛政9年)当時の師匠であった家村脇一により検校に認定され、さらに1817年(文化14年)には当時最高位であった江戸惣録検校に昇格された。また、加藤千蔭、村田春海、横田袋翁、太田錦城等多くの著名な学者と親交を持った事で、浅草の山谷にあった源照寺に彼の記念碑や木像が建てられた。また、神奈川県藤沢市江の島にある江島神社付近にも顕彰碑が建てられている。」だそうです。「当時活躍していた人形浄瑠璃師の式亭三馬の作品『浮世風呂』や山東京山及び松浦静山の作品に山田の逸話が登場する。」ということです。

NHKの「べらぼう」には式亭三馬や山東京山が登場しそうですから、もしかすると山田検校も出てくるかもしれませんね。源照寺や江島神社が「紀行」に出てくるかもしれません。楽しみです。筝曲の検校としては八橋検校が有名です。山田検校より少し前の江戸時代前期の箏曲の音楽家で検校を務めました。京都銘菓として知られる「八ツ橋」は八橋検校に由来するとされています。八橋検校の死後にその業績を偲んで、箏の形を模した作られた堅焼き煎餅を「八ツ橋」と名付けたと伝えられています。ただし発祥には異説も存在し、いずれの説も正確性が保証されていないそうです。今、御土産としては「生八ツ橋」が定番になっていますが、元の「八ツ橋」は筝(こと)の形をしている、と聞いたことがあり、感心した思い出があります。聖護院八橋総本店のホームページにはそう記載されています。(https://shogoin.co.jp/product/)八橋検校作の「六段の調(しらべ)」は筝曲の代表作であり、誰でも一度は聞いたことがあるはずです。和風のお店で流れている筝曲はほぼこれで、最近はピアノとか他の楽器でも演奏される古典の名曲です。YouTubeにも多くの作品が流れていますから、一度ご確認ください。

山田検校の代表的な筝曲は『小督(こごうの)曲』『熊野』『長恨歌曲』『葵上』で、「四つもの」と呼ばれています。『小督(こごうの)曲』は歌があり、平家物語巻六の小督の局を題材とし,源仲国が箏の音をたよりに小督の局を尋ねあてる、という話を語っています。もし「癒し」を求めたくなったら、日本の古典、とくに筝曲の代表作を聞いてみると、心が落ち着くのではないでしょうか。筝1台の演奏もよし、尺八や三味線との合奏もより、歌入りもよし、お気に入りを見つけてみてはいかがでしょうか。

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