入梅


コラム挿絵:梅雨に降る雨のイラスト

今年は6月11日が入梅(にゅうばい)です。偶然ですが、満月です。満月も雨や雲で見られないかもしれませんね。
日本には、四季のほかにも繊細な季節の移ろいを表す言葉が多く存在します。その中でも、という言葉は、梅雨の始まりを告げる静かでしっとりとした響きを持ち、日本人の自然観や生活の知恵を今に伝える言葉です。入梅とは、文字通り「梅雨に入ること」を意味し、気象庁が発表する梅雨入りとはやや異なる、暦に基づいた季節の節目です。毎年だいたい6月10日頃が入梅とされ、これは太陽が黄経80度に達する日に定められています。つまり、天文学的・暦法的な基準に基づいた入梅は、現代の天気予報とは違い、あくまで年中行事や農業暦などに活用されてきた伝統的な目安なのです。
入梅という言葉の中にある「梅」は、もちろん春の花である梅を指しますが、梅雨の語源は「梅の実が熟すころに降る雨」という意味から来ているとも言われています。実際に、6月から7月初旬にかけては、ちょうど青梅が実る季節でもあり、梅酒や梅干し作りが行われる時期と重なります。このように、日本人の暮らしの中では、入梅は単なる雨季の始まりではなく、保存食づくりや田植え準備など、生活と深く結びついた節目とされてきました。
一方で、入梅は人々の心情にもさまざまな影響を与えてきました。長雨や湿気、曇り空の続く日々は、心を少し沈ませることもあります。けれども同時に、雨音に耳を澄ませたり、滴る紫陽花の美しさを味わったりと、日本人独特の「雨を愛でる文化」が育まれた背景には、この入梅の季節があるともいえるでしょう。
古来より、和歌や俳句にも梅雨の情景は数多く詠まれてきました。たとえば松尾芭蕉は、「五月雨(さみだれ)を あつめて早し 最上川」と詠み、降り続く雨が流れを速める最上川の迫力を描いています。五月とありますが、旧暦の五月は新暦だと今月になります。旧暦では今日はまだ5月15日です。この句にあるのは、ただの鬱陶しい雨ではなく、大自然の営みに圧倒される人間のまなざしです。入梅という一見地味な季節の入り口にも、詩情や美意識が息づいているのです。
また、現代でも入梅の時期は生活に少なからず影響を与えています。通勤・通学時の傘の携帯はもちろん、洗濯物の乾き具合、食材の傷みやすさ、カビの発生など、家事にも工夫が求められる時期です。そのため、防湿剤や除湿機、雨具の改良など、梅雨対策に関する技術や商品が毎年のように進化しています。つまり、入梅とは今なお私たちの暮らしを試す「季節の試練」でもあるのです。
農業の観点から見ると、入梅は特に重要な意味を持ちます。田植えが本格化するこの時期、適度な降雨は苗の成長に欠かせないものであり、古くから「恵みの雨」とも呼ばれてきました。ただし、気候変動によって梅雨前線の停滞や集中豪雨が起こるようになり、かつての「静かな梅雨」は時に「災害の季節」へと変貌しています。土砂災害や河川の氾濫といったリスクが増す中で、入梅のとらえ方もまた変わりつつあるのです。それでもなお、日本人にとって入梅は、暦の上で確かな季節の区切りとしてあり続けています。

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