テレビの夜明けとインターネット時代の新たな幕開け


お茶の間のテレビのイラスト

1952年7月31日、日本の放送史にとって重要な一歩が刻まれました。この日、民間初のテレビ放送局である「日本テレビ放送網(日本テレビ)」が、電波管理委員会からテレビ放送の予備免許第1号を取得したのです。当時はまだ白黒テレビが高嶺の花だった時代でありながら、「映像で情報を伝える」という新しいメディアの登場は、日本の大衆文化と情報社会の方向性を大きく変えることとなりました。

この予備免許の取得は、戦後の日本社会が「自由」と「多様性」を取り戻し、国家主導から民間の創造へとメディアの主導権が移行し始めた象徴でもあります。NHKという公共放送に加えて、商業ベースで視聴者に訴えかける民間放送が生まれたことで、報道・娯楽・教育の在り方が多様化し、テレビはやがて国民の「共通言語」として広く浸透していきました。特に日本テレビは、1953年の本放送開始以来、「プロレス中継」や「笑点」など、時代を象徴する多くの番組を通じてテレビ文化の形成に大きく貢献してきました。家庭の団らんをつなぐ「茶の間の中心」として、また政治や経済、世界のニュースを視覚的に伝える「公共の窓口」としての役割も果たしました。

しかし、21世紀に入り、テレビはかつてのような「一極集中型メディア」ではなくなりつつあります。インターネットの登場により、情報の発信・受信は「同時性」「双方向性」「個別化」という特性を持ち、視聴者は番組を「見る」存在から「選ぶ」「作る」存在へと変化しています。YouTubeやNetflix、TikTokなどの台頭により、テレビ番組は「一週間に一度」見るものではなく、「いつでもどこでも」消費するコンテンツの一部へと変化したのです。このような時代において、日本テレビをはじめとする民間テレビ局は、次なる役割を問われています。すでに多くの放送局では、地上波とネット配信の融合が進められています。日本テレビも「TVer」や「Hulu」といった配信プラットフォームを活用し、コンテンツの多角化と視聴者との接点拡大を図っています。また、SNS連携によるリアルタイム参加型番組や、AIによる個別最適化コンテンツの実験なども始まっています。とはいえ、テレビの本質は「共有体験の場」にあります。災害時の緊急報道やオリンピックの中継、あるいは紅白歌合戦など、多くの人が同じ時間に同じ内容を見て共感しあう「社会的瞬間」は、いまなおテレビの最大の強みであることに変わりはありません。テレビは衰退しているのではなく、「変容」しています。1952年7月31日の予備免許取得が「放送」の黎明期を告げたように、いま私たちは「融合メディア」の新時代に立っています。

テレビとインターネットの境界があいまいになる中で、重要なのは「信頼できる情報を、わかりやすく、感動をもって伝える」という原点です。70年以上前のこの日、日本で初めて民間のテレビ放送が法的に認められました。それは、単なる電波免許の発行ではなく、「自由な情報流通社会」への一歩でした。インターネットと共存する現代のテレビにおいても、その精神は脈々と受け継がれています。しかしこの先はどのような展開があるのか予想はむずかしいです。

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