手話の雑学10

アメリカの英語とアメリカの実社会の関係を手話に置き換えると、手話に対する考え方の誤りがわかります。聾者の多くはテレビで見るような「上手な手話」を求めているわけではなく、「わかりやすい手話」を求めています。この「わかりやすい」という概念は実はなかなかむずかしいのです。なぜなら、人により「わかりやすさ」が異なるからです。子供にとってわかりやすい、老人にとってわかりやすい、高度なコミュニケーションにおいてわかりやすい、など人により、状況により、わかりやすいという判断の条件がさまざまです。そして、聾者にとって、難聴者にとって、聴者にとって、外国人にとって、わかりやすい手話が変わります。
こうして考えていくと、オールラウンド、つまりどこにでも対応できる言語表現は非常に少ないのです。それが言語の多様性です。日本語が同じ意味の語でも「おとうさん、父、オヤジ、おとっつあん、父上」など多くの表現つまり同義語がたくさんあるのは、こうした使い分けがあるからです。その意味では、日本語は多様的であり、文化的に豊かな言語ということもいえます。手話にも多様性が増えてきているのは、手話が豊かになっていく過程にあることの証明といえます。
よく「赤ちゃんことば」として、「おいちいでちゅか?」などが言われます。少し考えてみると、これは謎の現象で不思議なことばです。誰かから習ったわけでもないのに、みんな同じになります。それに肝心の赤ちゃんや幼児はこういう表現をしません。するとしたら「大人の真似」をしているだけです。大人はこういう赤ちゃんことばが、子供にはわかりやすい、と思い込んでいます。実はこれは日本語だけでなく、世界の言語に見られる現象のようです。幼児の発音機能は確かに未発達ですから、発音できない子音などがあります。しかし、子供の側は似たような音で代替し、次第に学習して発音できるようになっていきます。たとえば日本語の「ダ行」は「ラ行」に代替されます。「行くのだ」が「行くのラ」に替わるような現象です。他にもいくつか、いわゆる「エラー」のような「言い間違い」が出てきます。それらは大人からみると、「可愛い間違い」であり、周囲の笑いのネタになります。中には年上の兄弟などからからかわれるネタにもなり、兄弟げんかの種にもなります。ではこういう幼児期の表現が手話にもあるのでしょうか。それはあります。たとえば指文字の「ラ」のような形は幼児にはできません。2本指を重ねず、2本指のままで表現されます。
現代の言語学では、このように発達途上にある言語表現は「誤り」と捉えるのではなく、1つの言語形つまり「言語変種」と考えています。そして子供に対して、親が子供に対して話しかける時の変則的な表現も変種と考えます。幼児語、母親語などという用語が使われています。この「変種」について、もう少し深堀りしていくと、言語の本質が多様性にある、ということがはっきり見えてきます。
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