手話の雑学13

「手話は聾者の言語」という思想の根本は「手話という基準」で人間を分類しようという思想です。この思想の前提として、聴覚障害の有無、つまり「聞こえる」「聞こえない」の二項対立的概念で人間を分類します。この前提すら誤りであることは上記で指摘した通りですが、次に「聞こえない」人つまり聴覚障害者を聴力ではなく、手話の使用で分類しようという思想です。いいかえると手話使用者と非手話使用者で分類していくわけです。そして「聴覚障害者で手話使用者がろう者である」という結論を導きだしています。
このように二項対立論を積み重ねていくと矛盾が起きてきます。この結論を前提にすると、「聴覚障害がないのに手話ができる」「聴覚障害があるのに手話を使用しない」人が当然出てきます。前者の例としては、聾家庭に生まれた健聴児です。これは例外的ではなく、むしろかなり多数です。こういう人々をコーダと呼ぶことで、「ろう者の仲間」という「修正」が行われました。そして「聴覚障害があるのに手話を使用しない」人々は「難聴者」として、「聾者ではない」という形の排除が行われました。このため同じ「聴覚障害者」として一括りに分類されてきた集団を分断することになりました。これで「一時的解決」ができたと思われたようですが、現実にはコーダでなくて、手話ができる聴者が増大しました。手話ができる聴者というのは、昔は聾児をもつ親とか聾学校の先生など少数でしたが、手話通訳が登場し、手話学習者が増えたことにより、その数は爆発的に増えました。「手話人口」を調べると、「聴覚障害があって手話を使用する」という「ろう者」人口は最も少なく、聴覚障害がなくて手話を使用する人つまり「聴者の手話者」が最大です。この中にごく少数ですがコーダも含まれます。ついで多いのが難聴者の手話者です。手話という基準で人々を分類すると、そういう結果になります。そしてこの傾向はさらに広がっています。「手話の普及」という政治運動がもたらした結果です。
考えてみれば当たり前のことで、聴覚障害者は人口の中では少数であり、圧倒的多数が手話使用を始めれば、その多数の中では少数であっても、全体の中では多数を占めていきます。数字的な説明がよりわかりやすいかもしれません。ここに1万人の人がいるとします。そのうち50人の少数集団がいて、その中は40人と10人の集団に分かれているとします。その10人の中の9人がある特徴をもっているとすると、その特徴率は90%です。同じ特徴を40人の集団では8人だとすると、その特徴率は20%です。そして人口全体の中から50人を差し引いた9950人の中の1%がその特徴を獲得した場合、99人がその特徴をもっているので、その人口におけるその特徴を持っている人は99対8対9となります。総数は116です。もし10人の集団が9人以外は認めないと考えると、107対9で、全体における比率は8%です。言い換えると、自分たちの社会では90%でも社会全体からは8%にしかならない超マイノリティなのです。これはあくまでも寓話ですから、現実の聴者と難聴者と聾者を比定しているわけではありません。
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