紅葉月朔日

旧暦では本日から、9月になります。9月は長月として知られていますが、他にも菊月、紅葉月など風流な異名があります。季節はすでに秋の深まりを見せ、空気が澄み、夜長を実感するころ。虫の音が弱まり、稲刈りが終わって田の畔にはすすきが揺れ、野山は少しずつ赤や黄色に染まりはじめます。今年のように夏が長いと、今の時期から秋が深まるという実感があります。たまには旧暦の世界観を楽しんでみると、「十月なのに暑い」というような不満が減るかもしれません。
「菊月」という呼び名は、もちろん旧暦九月九日の「重陽の節句」にちなみます。五節句のうち最後にあたるこの日は、「菊の節句」とも呼ばれ、不老長寿を願う行事が行われました。中国の風習が日本に伝わったもので、平安時代には宮中で菊花を眺め、詩を詠み、香を焚いて酒を酌み交わす雅な宴が催されました。菊の花に綿をかぶせて夜露を含ませ、その露で体を拭く「菊の被綿(きせわた)」という習慣も、生命の清らかさを願う象徴的な行いでした。菊の香には邪気を払う力があると信じられ、同時に、咲き誇る花にこそ「盛りの終わり」が潜んでいるという、秋らしい哀愁の美意識も感じられます。こうした習慣は残しておきたいですね。
一方の「紅葉月」は、より日本的な情趣を湛えた呼び方です。木々の葉が紅や黄に染まり、やがて散っていくその過程に、人々は「移ろい」の美を見出しました。『源氏物語』や『枕草子』の時代から、紅葉は単なる自然現象ではなく、「もののあはれ」を感じる媒介として詠まれ続けてきました。風に散る紅葉の一枚に、人生の無常を重ねる感性が、千年以上も日本人の心の奥底に生きています。
この月はまた、収穫の喜びとともに「終わり」を意識する時期でもあります。稲が刈り取られ、実りを終えた田んぼには、来年の種を思わせる静かな希望が残ります。農耕の暦では、自然の循環を見つめる感性が常に根底にありました。だからこそ、秋の終盤にあたる九月は「次の季節を待つ心」の月でもあったのです。夜の空には月が高く、澄んだ光が山々や庭先の菊の花を照らします。旧暦では、八月十五日の「中秋の名月」につづき、九月十三日の「後の月(のちのつき)」を愛でる風習がありました。これは「十三夜」とも呼ばれ、日本独自の月見行事です。芋名月のあとに豆や栗を供えることから「栗名月」とも言われました。十五夜を見て十三夜を見ないのは「片見月」とされ、縁起が悪いとまで言われたほどです。二度の月見を通して、満ち欠けのリズムに人生を重ねた人々の感覚が、いかに自然と密接であったかがうかがえます。
菊月、紅葉月、どちらの名にも「成熟」と「移ろい」が共存しています。生命の輝きが最も美しく、同時にその終わりが見えている季節。そこに日本人は、儚さの中の永遠を見出してきました。秋の深まりとともに、自らの心の奥に静かに灯るものを見つめ直す月――旧暦九月は、そんな内省の時間を与えてくれる季節でもあります。
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