手話の雑学80


手話で話す女性のイラスト

なぜ手はこんなに表現力があるのでしょうか。手は脳のセンサー地図(ホムンクルス)というのをごぞんじでしょうか。たぶんどこかで見たこともあると思いますので、検索してみてください。手はホムンクルスで異常に大きな面積を占めるほど高精度の制御が可能です。さらに、視覚は空間情報を処理するのが得意なので「形」「方向」「動き」を瞬間的に理解できます。手の細やかな運動と、視覚の処理能力が噛み合うことで、ハンドサインは音声とは別の高速・高密度の情報チャンネルとして発達しています。これは手話が文法を持ち、比喩・転移・抽象を操れるのと同じ基盤であり、文化的に作られた簡易サイン(たとえばダイバーの「残圧50」サインや、職人の指で数字を送る仕草、昔の株式市場の場立ちのサイン、野球のサインなど)にも同じメカニズムが潜んでいます。

ハンドサインの仕組みと脳と記号の関係を考えると、手の動きは音声よりも図像性を保持しやすい傾向があります。たとえば野球の「盗塁のサイン」は抽象的な符号ですが、ダイバーの「サメ」のサインは手をヒレ状にするなど、形で意味を模すことが多い例があります。手話学ではここに 形態素としての手の構成要素を設定しています。手話と比べれば、文化的ハンドサインは体系が浅く、語彙も限られています。ただし「図像性→慣習化→抽象化」という進化の道筋はよく似ています。たとえばVサインの意味は当初は「勝利」の意味でしたが、「平和」の意味に変わり、現在の日本では、写真を撮る時のポーズ、と時代で変化しており、象徴性(symbolicity:図像性を離れて記号が純粋な習慣になる)を獲得している段階です。

ハンドサインには文化差があります。人は普遍的な身体を持っているのに、サインは驚くほど文化差が強い領域です。親指を立てるサインは日本では「いいね」、アメリカでは「good」、一部地域では侮辱になります。イタリアの「指をすぼめて揺らす」ジェスチャーは感情スペクトルが広く、必ずしも「何やってんだよ?」とは限りません。興味深いのは、どの文化でも手の形を記号化するという方向性は共通していること。違うのは、その記号にどんな社会的意味を重ねるかという文化的レイヤーだということです。

手話と言語でないハンドサインには境界線があるのですが、ここがよく誤解されるところですが、ハンドサインの多くは「言語」ではありません。それはハンドサインには文法的生産性がないのに対し、手話には語順、分類詞、時制、焦点化、形態音韻パターンまであります。そして語彙の創発力が限定的です。手話では動詞が名詞化したり、空間を文法機能として使ったりできますが、OKサインに派生語はありません。いい換えれば、文化的ハンドサインは「単語だけの辞書」であり、手話は「辞書+文法書+発話能力」をもつ体系だと考えられます。文法の存在は大きいのです。単語が組み合わさることで文法が発生するわけです。

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