手話の雑学81

手話が文法をもっていて、語を生産できるのに対して、ハンドサインや野球のサインは文法を生まないので、次々に語を生産していくことはできません。手話では動詞が名詞化したり、空間を文法機能として使ったりできますが、OKサインに派生語はありません。派生という語形変化ができるのも手話の特徴です。いい換えれば、文化的ハンドサインは単語だけの辞書であり、手話は「辞書+文法書+発話能力」をもつ体系だと考えるとわかりやすいでしょう。文法の存在は大きいのです。単語が組み合わさることで文法が発生するわけです。
スマホ時代になって、写真越し・動画越しに使われる遠隔ジェスチャーが増えています。VTubeやアバター空間では、「手の形」が新しい絵文字のように使われる場面もあります。
ここには、手の記号が再「図像性の再獲得」に向かうという流れが見えます。身体的記号は、文字文化とは別の形でサイバー空間に植え替えられつつあるというわけです。もっと細かなタイプ分けも可能で、軍隊や警察、消防などのサイン体系、ろう文化圏のジェスチャー、職人の数サイン、舞踊や宗教のムドラーなどにも踏み込めます。ムドラーというのは仏教の印形のように、特定の手の形が特定のものや現象を表すものです。有名なのは「忍者のドロン」といえば馴染みがありますね。仏像はどれも印形を結んでいて、その形を見れば、どの仏様なのかが一目瞭然にわかります。中には秘伝のものもあり、興味深い世界です。
また手話との境界や脳内処理の比較にも話題を広げられます。ハンドサインを足場にすると、人類が“身体でつくる記号の歴史”を読み解く面白さが広がります。手でつくる記号が「ことばの代役」を果たす瞬間は、人と人の間だけでなく、人と動物のあいだにも起きます。デフドッグ(聴覚障害のある犬)や、警察犬・牧羊犬・鷹匠の鳥、さらには馬術のハンドキューなどは、まさにハンドサインが通訳になる世界です。動物訓練で使われるハンドサインを、人間言語との類似・相違をまじえながら考えてみましょう。
では、なぜ動物はハンドサインを理解できるのでしょうか。動物の知性は、人間の言語とは別の器官で世界を理解します。犬なら視覚と嗅覚、馬なら視覚と身体の圧、鳥なら視野の広さと動きへの敏感さ、といった具合です。そのため、音声より視覚的に明瞭な合図のほうが情報伝達に向いていることが多いのです。とくに犬は人の指さしの理解に強く、これは狼には弱い傾向があるので、人間との共同進化の産物と考えられています。つまり、ハンドサインは「犬がもともと拾いやすいコミュニケーション・チャンネル」を使った合図体系なのです。デフドッグ訓練におけるハンドサインというのがあります。デフドッグというのは、耳がよく聞こえない犬のことです。聴覚にアクセスできない犬の訓練では、手の形・動き・視線・表情が“音声の代わり”になるように組まれます。構造は単純ですが、言語学的にみると非常に興味深いのです。
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