手話研究の星6 ストーキー(William C. Stokoe) ③


手話で話す女性のイラスト

ストーキーが発明した手話記述法(ストーキー法)は記号が独特であること、タイプライタで打てないこと、つまり全部手書きであることから、「面倒である」ことが不評でした。今なら簡単に外字フォントで対応できますが(実際、あります)、当時はすべて手書きを画像化するしかないので、辞書作りも大変でした。そしてアルファベットのような順序もないので、読み解くにはいちいち裏表紙にある凡例を見ながら、理解しなくてはなりません。それでも手のかたちは指文字を応用し、位置は身体部位、動きは言語表現を活用し、少しでもわかりやすくする工夫があります。

私は訪問前に既にストーキー法を学習し、日本手話に応用しようと考えていたので、日本手話にはそのままでは応用できないことを伝えました。すると彼は「この表記法は普遍的な記号ではないので、それぞれの言語に合わせて補正するなり、新規作成するなり、すればよい」という答えでした。つまり、彼は構造言語学に忠実で、サピアなどの「言語相対説」の立場だったわけです。

私の訪問当時、言語学はチョムスキーの生成文法の最盛期であり、私自身、その枠組みに支配されていましたから、「構造言語学は古い」という固定観念に支配されていました。実際、当時でもアメリカ手話学者は生成文法の視点に立っており、「言語普遍説」が常識化されていました。それでストーキーがキャンパスのはずれで、ひっそりと研究していた理由もわかりましたし、それなりの時間がいただけたのは、私にとって幸運でした。

私にとって、「アメリカ手話と日本手話は別の言語」という当たり前のことを彼から教えられたのです。今でも「手話は世界共通」という誤解をもつ人が多いのですが、手話学者の中にもそう考える人がいるのは、生成文法言語学の一環として手話を考えるからです。実際、チョムスキーも各言語の違いは表面的な違いであって、「人間の言語としては同じ」と考えています。英語を含むヨーロッパの言語を比較する比較言語学では、共通部分も多く、進化の歴史を辿ると同じ祖先になる、という祖語という考えが支配的で、それがインドの古語である、という19世紀の発見は衝撃でした。それで今も「インドーヨーロッパ語族(印欧語族)」というグループにまとめられています。その後、それ以外の言語群があることがわかってきていますが、日本語はどのグループにも分類しがたい「謎の言語」になっています。チョムスキーや生成文法の言語学者はユダヤ教やキリスト教の信者がほとんどですから、「言語は神の理性である」という思想が根底にあります。そして唯一神ですから、人間の言語の元は1つと考えるのは自然なことです。しかし、現実の様々な言語を研究すると、非キリスト教圏の言語は実に多様であり、同一の祖語ということはいえません。そこで「言語相対説」という主張がなされたのですが、どちらかと異端扱いでした。言語学史では、比較言語学、構造言語学、生成文法理論と変化してきたので、「古い枠組み」という評価ももっともでした。そういう学風の中で孤軍奮闘したストーキーに、日本語を基盤としていた私には非常に感銘がありました。

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